ふりかえる

2013年11月19日

Light and Darkness 2

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帰り道にふと立ち寄った近所の書店で、手に取る本の帯に記されたコメントがすべて同じ哲学者によるものだった。へぇ、と思いながら、そのうちの一冊を捲ってみたところ、思いもよらず引きこまれ、買わずにはいられなかった。それは、ある事件を追ったルポタージュ。そこに登場する人物の生育暦や人生に、自分の過去が重なった。


どうしようもない生き難さと底なしの寂しさを擁しながら、それを覆い隠すかのように、またそこから目を逸らし続けるために、歪んだプライドという鎧を身に纏い虚勢という仮面を被って彷徨い生きていた過去の自分を思い出す。


あらゆることが破綻していた。しかし、それを誰にも悟られたくはなかった。けれど、すべてが立ち行かなくもなっていた。それでも、助けを求めることはできなかった。生き急いでいるつもりなど全くなかった。ただ苦しくて、寂しくて、どうしようもなかっただけだ。


あの奇妙なプライドの高さは、もしかしたら幾度となく否定され続けた生育暦や、どこにも居場所を見出せない生きづらさが故に、もう決して誰にも踏みにじられまいとして築きあげた偽の仮面だったではないかと、改めて気付かされる。あれはきっと、「もうこれ以上傷つきたくはない」という、懸命なる防御だったのだろうと思う。


そんなにも傷つき、それほどまでに寂しかったのか・・・と、過去の自分をどうしようもなく哀れむ気持ちが沸き起こると同時に、あのゆがんだプライドの正体がなんであったかということを、そして、それ故に歩むことになった破綻の道程を改めて反芻している。


他者あるいは世界との融合をひたすら希求しながら、同時に、それを断固として拒否していた。そんな過去の自分の激しい引き裂かれが、今となってはよく見える。そして、それによって引き起こされた極端な迷走と暴走の道程も、その中であの頃の私が本当に求めていたものが何だったのかも、今となってはよくわかる。


幾度となく・・・それはもう何度も何度も、自らで一つ一つ瘡蓋をはがすように剥き続けてきた殻の中の、そこにずっと存在していたあまりに繊細な自分の一部を、ようやく受け止め、受け入れ、抱き締められる時がきたのだろうか。



決して認めたくはない弱さや醜さや脆さを、己の裡に見出せば見出すほどに、人は己の愛の深さを知るのかもしれない。


つむいでいく過程は、同時に、ほどいていく過程でもある。自分という病にひたすら苦しみ、生き難さにのたうちまわっていたということは、おそらくは、それほどまでに自分を愛し、世界(自分)との融合をどこまでも強く、強く、希求していたということだ。



闇が深ければ深いほど、現れた光はより眩しく輝く。人の闇に光をもたらすのは、いつだってその人自身だ。深い深い闇の中を彷徨いもがく人とは、同時に、その闇と同じだけの光をもたらすことができる人なのではなかろうか。。。






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2013年11月 4日

虐待という経験、ゆるしと解放、闇と光と

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いつも楽しみにしてるこちらのブログ
「虐待について」と題されたこの記事には、いつも以上に深い共感と納得を覚えた。


日常的に繰り返される母親からの肉体的・精神的暴力に苦しみ、底なしの憎しみと怒り、そして悲しみが故に、なけなしの自尊心も自我も人生も大きく破綻した末、長い年月をかけて母親をゆるし、そして己をゆるしてきた経験を持つ者として、この記事に書かれている内容はただただ深く頷けるものだった。


私の母親もまた幼少期に辛い経験を背負って生きてきたACだったということは、ずいぶんと後になってから知った。虐待は連鎖する・・・だからこそ、良い悪いと裁く思考ではなく、すべてをまるごとにゆるす眼差しを育む必要がある。相手をゆるすことは、同時に己をゆるすことだということを、私は母親との関係から強く学んできたように思っている。


しかし、深く深く傷ついた経験というのは、理屈ではどうにも癒すことはできないもの。そして、自らが癒えぬ間は、どんなにか理性を働かそうとも、そのこと(虐待という体験)を受け入れ、ゆるすことなどできないのは確かだ。だから、ゆるせないと思うならば、決して無理をする必要はない。


苦しみを抱え続けて生きること、開放できぬ怒りや憎しみ、悲しみを抱いて生きていくというのは、本当に辛い。だから、まずはとにかく自分自身が癒えることが最優先だと思っている。歪んでしまった自己認識を回復し、捻じ曲げられた自尊心を取り戻すこと。自分で自分を愛せるようになることが最も重要だ。


「ゆるさなければならない」なんてことはない。それよりも、真っ先にゆるされるべきは自分自身。どれだけ憎んでもいいし、どんなに怒ってもいい。まずは、憎しみも怒りも、すべて感じていいし、表現していいのだということを、誰よりも真っ先に自分自身でゆるしてあげること・・・そこから私の解放は始まったように記憶している。もちろん、そこまで辿り着くのにはずいぶんと時間がかかったし、苦しい紆余曲折の中では様々な人からのサポートに支えられた。


己の内にある底なしの憎しみと怒り・・・それは殺意すら覚えるほど激しいもので、その感情を自らで認め、受け入れることは大変な苦痛を伴うものだった。しかし、今となっては、あのあまりにも深い闇を通り抜けてきたからこそ、生の本質にある光の輝きと美しさを忘れずに生きていられるのだと思っている。闇が深ければ深いほど、光はいっそう眩しく輝く。闇と光は同時にあって、決して分かつことのできないものであるということも、己の深い闇を通ってきてきたからこそわかることなのだと思う。


誰に向かって書いているわけではないけれど・・・もしも虐待経験によって歪んでしまった自尊心や自己認識、辛い思考や観念の枠によって苦しみ続けている人がいるならば、その苦しみには必ず終わりが来るということを伝えたいなと思ったのだった。どうか、すべての心に光がありますように。どうか、希望がありますように。







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2011年11月 3日

虐待と自傷と、生と祈りと

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昨日、幼少期~思春期に虐待(程度や内容、認識の違いなどは別として)を受けたかどうかと、自傷行為との関連性についてのデータを見ながら、過去の自分を思い返していた。所謂リストカット行為ではなくとも、ことの大小にかかわらず自分で自分を痛めつける行為はすべて自傷行為なのだと、いまさらながらに気づいたのだった。


幼い頃、ときどき抑えきれなくなっては自分で自分を殴っていた。拳で殴るだけでなく、物を使って頭や腕や脚を殴り、壁に頭を打ちつけ、ときには重い物を自分の身体に落としたりもしていた。わざと熱湯に手を浸したり、爪で身体を強くひっかいて傷をつけたりしたこともある。その衝動は思春期を過ぎても尚残り、成人してからも時折顔をのぞかせた。ずいぶん若かった頃のことだが、自分で自分を殴っているうちにわけがわからなくなって、ガラスに腕を打ち付けて大怪我を負ったこともある。


そんな大方忘れていた記憶を、一つ一つ掬い上げることになった。そうか、あれは自傷行為だったのかとようやく気づいたのだ。そして、それが、様々な虐待を受けたが故にひどく傷ついた心があげる苦しみの叫びだったということにも。この肉体には、そんな悲しみの歴史が刻まれていたのだ。


年を重ね、自分をごまかす方法を身に付けるにつれ、自傷行為も変化する。装いや振る舞いは防衛的かつ攻撃的になり、「何をされても傷つかない」という偽者の鎧を身に付けるようになるのだ。そして私はだんだんと、直接的暴力行為ではなく、社会的に自分を「価値無きもの」へと貶めるようになっていった。


ここまでどうやって歩いてきたのだろう。苦しく長い道程だったと今でも思う。親や周囲の大人から受ける身体的・精神的虐待や性的虐待、言葉の暴力や存在の否定・無視も含めたあらゆる虐待行為が、いかに人の生を歪め、長く続く苦しみの種を植えつけるかということを、私は身をもって知っている。


もう、あの頃に感じていたような表現しがたい苦しみ、悲しみ、生き難さを覚えることはなくなった。けれど、その苦しみを自らのものとして引き受けるために費やされた膨大な時間はもう戻ってはこず、そのために諦め続けてきたあらゆる選択も取り返すことはできない。それを思い出すことは、やはり悲しい。


自分で自分に死ねと命じるまで追い込まれ続けた苦しみの時間、それすらも甘えだと罵られて助けを求めることができなかった悲しみは、癒えることはあっても、決して消えはしない。誰かに対する恨みもなければ、過去への後悔の念もないが、心の根底に染み付いた悲しみだけは消すことができないのだ。


たかが36年、たいして長く生きてきたわけではない。しかし、強烈な自己否定により、どうにも人生がうまくいかず、長らく生き難さを抱えて流浪の生を送ってきたこと。そのことへの後悔は全くないが、その時間はなんとも悲しいものだったと思い返すことはある。


自分の悲しみと人の悲しみは、それそのものの形は異なれど、どこか相似するものがあり、だからつい人の悲しみに共鳴してしまうのかもしれない。虐待を受けた人たち、虐げられた経験を持つ人たちの生が、どうか肯定され、受け入れられ、彼等の心が解放されることを強く願う。




虐待は悲しい。それは、虐待を受ける者だけでなく、虐待する(してしまう)者もまた悲しいということだ。「虐待はいけない、だから虐待する者が悪い。」という論理だけでは決して解決できないことであり、そのことを多くの人に知ってもらいたいと思う。虐待は、双方が悲しいのだ。


虐待を受けた側は確かに苦しく、悲しく、痛く、その痛み苦しみは、人生そのものをも変えてしまう。しかし、虐待をしてしまう側の心もまたひどく悲しいものであり、その人生にもまた救いが必要なのだということ。そういう視点からのみ、解決の道が開かれるように思う。




否定から始まった生を肯定するのはなかなかに困難で、未だそのことに苦労することもあるが、敢えて「肯定する」ことを意識できるというのも悪くはない。この生は、喪失した時、喪失した自分を取り戻していく過程なのかもしれないと思うことがある。何かを得て失ったのではなく、喪失から始まっているような気がするのだ。私の中には幼い頃から表現しがたい分離感の苦しみがあり、それもまた、ある種の心理的喪失が故に生じるものなのかもしれない。


なにはともあれ、それでもなお生きていくということだ。似たような悲しみをその生の根底に抱く人々に共鳴し、そのことを通じて人と心を交わしては、自らが癒えていく。願わくばその時、たとえひとときのことであろうとも、その相手もまた何かしらを昇華することができればと願い、僅かにでもその力になれればと思う。


NPO法人おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズ
の理事であり、ご自身も犯罪被害者遺族でいらっしゃる市原千代子さんが、『命の授業』で語られた言葉を思い出す。「どうか生きて。そして、どうしても苦しい時には、どうか助けを求めて。」周囲に助けを求められなかった自分だからこそ、そういう心の叫び、声なき声を感じ取れる者でありたいと思う。


私の心が安らぎに満ち、この生が安心の道でありますように。そしてまた、あなたの心にも、いつも安らぎがありますように。その生がいつも肯定のもとにありますように。どうか、共に、生きていこう。




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2010年5月24日

これまでと、これからと

古本屋で偶然見つけた『私を 見て、ぎゅっと 愛して』という本を買った。そして昨日、突き動かされるように上下巻をまとめて読んだ。セックス依存と精神疾患いう形で露呈した、作者の根深い欠乏感と奈落のように深い不安、 歪んだ自尊心と間違った方向へ暴走する自意識。まるで昔の自分を垣間見ているようだった。

読んでは嗚咽の繰返しで丸一日を終えた。20代の一時期、貪るように何度も読み返しては泣いた、菜摘ひかるさんの文章を思い出した。『私を 見て、ぎゅっと 愛して』は作者である七井翔子さんのブログを元にした書籍だ。しかし、素人ブログと侮るなかれ、その文章力は卓越していて、その言葉は時に詩のように美しい。

七井翔子さんにしても、菜摘ひかるさんにしても、はたまた中村うさぎさんにしても、セックスや性に過剰なまでに振り回され、不特定多数との性交渉に身を投げ出しているにも関わらず、その魂にも精神にも穢れが見えないのは、一体なぜなのだろう。

「清く爛れる」と、菜摘ひかるさんはどこかで書いていたように思う。自らの手で腹を切り裂き、その内臓物を確かめるように、己の闇をまっすぐに見つめて記される彼女の言葉には、一点の曇りもないほどの純粋な心が映し出されていた。同じような危ういまでの純粋さが、七井翔子さんの文章からも零れている。


ここに詳しくは書けないが、私自身、20代の間はさまざまなものに依存し、しがみつき、そして多くのものを失った。
面白いほどに転落し続け、あっという間にあらゆるものを失い、自らの手で自分を偽りの孤独へと突き落としていった。自分で自分を痛めつけることで、かろうじて生きていたように思う。私は20代後半までの記憶が非常に曖昧だ。子供の頃のことを含め、思い出せないことが多い。

自分を愛せなかった。過剰すぎる自意識のために身動きが取れなかった。正しく怒ることができない自分がいた。そもそも自分の感情が分からなかった。自分が何を望み、何を求めているのかがさっぱり見えなかった。そして、何よりも健全な自尊心が無かった。けれど、全ては過去のことだ。それをいまさら後悔したり、嘆いたりしているのではない。ただ、それら全てを肯定できずにいたのも事実なのだ。


七井翔子さんの文章に出会い、当時の彼女が私と同世代であることに強く励まされた。自分が自分を生きるために、ただ幸せになりたいと思う気持ちを肯定するために、 自らの過去を何度も振り返り、それらを昇華してくという行為。そのことに年齢制限はないということ。大人げなかろうが、私は私を生きるしかないのだ。

ありがたいことに、私は自分の臓物を自らの手で引きずり出し、その痛みと苦しみにのた打ちまわる時期はもう終えた。汚れた内臓を自らの手で洗い流し、また元へと戻して、自分で切り裂いた皮膚を縫合した。時には人の助けも借りた。うまくいったかどうかは分からない。未だ縫い跡は少し痛むが、多分大丈夫だろう。



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おかあさん。私はあなたが年老いてしまう前に、あなたを赦すことができて良かった。私が20年近くを費やして自らの想いを昇華する間に、あなたもまた変化しました。私はあなたに受け容れられたかった。無条件に愛されたかった。私はあなたが恐ろしかった。それなのに、あなたに見捨てられるのが怖かった。

20年ほどの間、私は自分の手で自らを汚し続けました。自分を痛めつけ、無価値なものへと押しやりました。嫌なことばかりでした。記憶が途切れ途切れなので、いいこともあったはずなのですが、あまり覚えていないのです。汚れた自分が嫌でした。自分で自分が大嫌いでした。自分が情けなく、みじめでした。

自ら汚れ者だと虚勢を張り、強がっていました。どれだけタフで、どれだけ強靭で、どれだけ汚れているかを声高に主張しては、人を遠ざけていました。きっとあれは、人と深く関わることが怖くて、弱くて脆い自分の本性を見られて、見捨てられるのが恐ろしかったのでしょう。生き難かった。けれど死に切れなかったし、生きるしかなかった。それに、本当は生きたかった。

でも、そんな私にも僅かながら光はありました。様々な形で、光は時折姿を見せてくれた、だから生きていました。愛したかったし、愛されたかった。人と関わっていたかった。自分を必要とされたかった。できることなら健全な形で、人と心を交わしたかった。そう思い続けられたこと自体が、私にとっては光だったのかもしれません。

十数年続いてきた、自らの臓物を引きずり出しては洗うという期間が、本当の本当にようやく終わりを迎えることを知り、今は深く脱力しています。けれど、こうしている間にも時は過ぎていく。
今日を生き、明日を希望する自分を、自分で励ましていかなくてはなりません。

過去を振り返るということは、過去に引きずられることではない。過去が今となり、過去が未来へと繋がることを 今はひしひしと身に染みて感じています。体も心も相変わらず傷と綻びだらけですが、それでも今は光を確かに見ている。おかあさん、私はあなたを愛しています。

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愛するということを根気強く教えてくれた人がいる。その人に感謝を伝えたい。伝わるだろうか。いまさらでは遅いだろうか。人に受け容れられることを知らずにきてしまったために、人が受け容れてくれることが信じられなかった。
それでも見捨てずに見守ってくれる人がいた。

たくさんの迷惑をかけたし、その優しさを踏み躙っては、その気持ちを傷つけてきたことと思う。ごめんなさい。いまさら謝っても仕方がないのだけれど。やっと真人間に近づけたように思います。こんな迷惑極まりない奴の相手をしてくれて、助けてくれて、本当にありがとう。



昨日からずっと嗚咽を繰り返している。悲しくはないのに泣いてしまう。ただ、涙が零れる。


悲しくはない。辛くもない。苦しくもない。むしろ不思議なほどに、心は静かだ。しんと静まり返ったような平淡。穏やかな孤独。あたたかな静謐。それなのに、 いったいどれだけ泣けば、この身体と心は気が済むのだろう。涙は何を洗い流そうとしているのか。

もしかしたら私は、あの歪みきった自分を案外愛していたのかもしれない。だとすれば、この涙は別れと旅立ちの涙なのか。これまでとこれからを繋ごうとして、無意識が流す涙か。全てを水に流すための涙か。

今、自分が本当に大きな節目を迎えていることを全身で感じている。実質的に12年をかけて辿り着いた「ここ」には、30年余の想いが積み重なっている。

全てが、満ちた。自らの内にある全てのことが、一旦満ちたのだと感じる。満ちて溢れた水が、涙となって零れているのかもしれない。少しばかりの疲労感と、静寂に満ちたあたたかな孤独。こんなにも安らげる場所に自分が辿り着くことなど、想像もしていなかった。長い戦いを終えて、今、見つめるのは未来だ。


愛していきたい。
喜んでいたい。
祝福していたい。
心を交わしていたい。
人と繋がっていたい。
希望を見つめていたい。
祈りを友として生きたい。
自らを余すことなく生きたい。


私は私でいい。あなたはあなたでいい。出鱈目でもいい。
ただ全てを引き受けて、堂々と生きていればいい。






音楽に助けられて生きてきた。音楽の力は明日を生きる勇気を与えてくれる。こんな時こそ、全てひっくるめて肯定する力強い音楽のエネルギーを借りようと思う。





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2010年4月22日

私であることと女であること

セックス放浪記』と『私という病』を読み終えた。久々に中村うさぎの著書を読んだ。女であることと個人としてあることの間にあるズレ。そのズレが浮き彫りにする自意識という病。そして、性の主体性について。全てを代弁してもらったかのような読後のすっきり感である。

性によって生じる内面の引き裂かれに長年苦しみ、著者とは異なる形で迷走と暴走を続けてきた私にとって、『セックス放浪記』と『私という病』は、己のこれまでの行動の真意、すなわち「私は何を求めてきたのか」を改めて振り返る良い機会を与えてくれた。


ここ数日、自らの最も根底にしつこくこびり付いている不安と恐怖に、再び目を向けさせられるような出来事やコミュニケーションが続いていた。幼少期に染み付いてしまった見捨てられ不安、自らを率先して捨て続け、自分で自分を傷つけてきた過去、遠回りな自虐行為。それらの根本的原因であった欠乏感がどんなにか根深いかを思い知る。

まさか、この年になって尚それに苦しめられるとは思いもしなかった。二十年以上の年月をかけて、渾身の悪戦苦闘を続けてきた。直視し、立ち向かい、時に飲み込まれ、時には逃避しながらも、七転八倒を繰り返してきた。さすがにもう昔ほどの苦しみは感じないが、それでもやはり、直視するには身が裂けるような傷みを伴う。

母親に受け入れられたいという幼児の切実な欲求。父母に見捨てられるという子供の恐怖。この二つがこんなにも長く続く苦しみの種であるとは。そして、女として成長することへの否定感。今思えばきっと、母もあの頃は病んでいたのだ。彼女も必死で戦っていたのだろう。ヒステリーと暴力と女性性の否定は、彼女自身の内なる病だったのだと今なら分かる。

ぐるぐると廻り続ける輪のように、いつもそのことに引き戻されてきた。引き戻されては無力感に苛まれ、それでも諦めきれずに立ち上がっては、また廻る輪の中へと戻ってきた。この輪は果たして、螺旋を描いて上へと向かっているのか。もしかして下降しているのではないか。

どちらであろうと関係なかった。ただ諦めが悪いだけだ。納得したい、それだけのことだ。明らかに重荷なはずのものをずるずると引きずって生きては、ことあるごとにその荷物を確認してきた。一つ一つ取り出しては試してきた。そして、不要な荷物を一つずつ捨ててはきたが、それは未だずっしりと重い。けれど、そのお荷物をごっそり捨ててやろうと思える時がきた。



私は常に、自分の存在価値が無くなって他者から見捨てられることに脅えている。必要とされたい、存在価値を証明したい、という切なる願望が、私を突き動かしているのだ。仕事面でも恋愛でも夫婦関係でも、結局のところ私が求めているのは「他者に必要とされている」という確かな手応えと充実感だ。

恋愛において発動する、あの強烈な見捨てられ不安からも推測できるように、だぶんその「根源的な不安」とは「自分が誰からも必要とされておらず、他人の期待に応える能力もなく、したがって自分には何の存在価値もない」という判決がなされることへの不安と恐怖なのではないか。

それこそが、私にとっての「最後の審判」なのだ。私は、自分が本当は無価値な存在であることを、薄々、知っているのである。自分にとっては、それなりに意味も価値もある人生であっても、他人から見れば何の意味も価値もない石ころのような存在である、という最終的な自己確認を、私はずっと恐れて先延ばしにしてきた。私の人生はずっと「自分には何らかの価値がある」という答えを引き出すための自己確認の営みであった。しかし、最後に向き合うのが「自分には何の価値もない」という正反対の自己確認なのだとしたら・・・諸君、私は正気を保っていられるのだろうか?

                                 中村うさぎ 『セックス放浪記』 より




身を滅ぼしかねないほどの浪費の経験はないけれど、過去私は中村うさぎの姿に自らを重ね、彼女の著書を貪るように読んでいた時期もあった。中村うさぎの内に潜む自己という病、見捨てられる不安を掻き消すための過剰なまでの暴走行為、そこに自分自身を投影してきた。久々に読む彼女の著書に、ふたたび自らが重ねてきた様々な行為を思い出さざるを得なかった。

今さら訴えることは出来ないが、幼い頃に受けたいくつかの性的虐待、あれは立派な犯罪行為である。それなのに、それを誰にも言うことが出来ず、どこにも助けを求められなかった自分。「おまえが引き起こした」「不注意なおまえが悪い」と言われるのが怖くて、それらを無いものとして自らの内にしまいこんだ幼い自分が不憫でならない。

そのことにより、どれだけ長い間自らの性を否定し、自分を自暴自棄に捨て続け、男性性への不信と憎しみに振り回されながらも、見捨てられるという不安に慄いてきたか。そのことを思う度、内側から体が壊れてしまいそうなほどの苦しみが噴出する。昨夜は久々に激しく泣いた。

そのことも全て吐き出して捨ててしまおうと思える時がようやくきた。また一つ大きな荷物を降ろす決意ができた。その荷物はひときは重く、私は長年その重みに苦しめられ痛めつけられてきた。 それでも捨てられなかったのは、それを捨てることにより、自分がどれだけの破滅的な自虐行為を繰り返してきたかを直視するのが怖かったのだ。

子供は親や大人を憎めないのだ。なぜならそれは子供にとって、自らが生きる拠り所を失うことに結び付いてしまうから。憎むことが出来たなら、こんなにも長い年月、自分という存在を否定することなどなかっただろうと思う。けれど、今でもやっぱり憎しみはない。あいつに対する嫌悪感すらない自分が時に悲しい。

けれど、自己憐憫の内に自らを閉ざしてしまうほど、私はもう弱くもなければ若くもない。一つずつ捨てていこう。きっと世の中には同じような女性が多くいるはずで、そういう人達と出会いたいとずっと思っていた。思ってはいたけれど、様々な不安が行動を抑止していた。これからは一つずつ行動するのだ。

出会った出来事、遭遇した事件が、人生の良し悪しを決めるのではない。そんなものに振り回されて、自らを見失ったまま生きるのはごめんだ。私には私の生を納得する自由がある。そして、私の人生を納得させるのは、私自身にほかならない。これからは己の納得を追及するために行動しようと思う。それがたとえ、人が目を背けたくなるような汚い嘔吐であったとしても。自分を救うのは自分以外にない。








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2010年4月19日

殴り書き、嘔吐

本当に殴り書きです。


三岸節子と三岸好太郎という二人の画家を、男女という観点から見つめてみて、改めて女性性とは、女とは、と考えた。

共感し、受容し、昇華していく海のような受容力。そこには底なしの恐ろしさをも感じるのだが、結局のところは明け渡していくしかない性。受け入れ、飲み込み、変容させる力こそが女性性なのか。

女とは、愛してしまうものなのかもしれない。結局のところ、対象の条件などは全く関係がないのだ。それは男性性の愛とはまったく異なるものであり、受け入れて育むという女性性の根本がそうさせるのかもしれない。もちろん、実際には現実において、それをすんなり発揮して生きられるわけではないのだけれど。

女という性にとって、「愛すること/愛されること」は、生涯を通して決して消えることのない、生きる上での大きな意味であり問題なのだなぁと改めて思う。それは性愛についてばかりではなく、子を愛することも然り、家族や友人を愛することもまた然り。そして、その愛とは、最終的には全てを丸呑みする受容力へと向かうよりほかなく、そうすることでしか救われないのではないか、とも。

ちなみに、ここでいう女性性、男性性とは、肉体的に生まれ持った性別のことを言っているではない。ただ、私自身は女の体をもって生まれた異性愛者なので、どうしてもこういう語り口になってしまう。一般論として女を語っているのではなく、あくまでもこれは私自身の内側にある女性性と男性性についての取り組みだ。

相手も自分も丸ごと引き受け、飲み込んで受け入れて昇華してしまうという、女性性の根源的な力を持ちあわせていながら、実際には理想や社会的意志といった自分の欲求との矛盾と折衝が内側に発生し、現実はなかなかうまくはいかない。そこでどうしようかと悩んだり、もがいたり、時には自分自身を投げ出してみたりもする。


私自身は自分が女であることが嫌で、それは実際のところ全く自覚ができていなかったのだが(それが問題をさらにややこしくした)、無意識的に自分の中の女を封じ込めようと長らく格闘してきたという過去がある。それには多分、父親への欠乏感と、母親に対する愛憎入り混じる毒々しい感情が深く関わっていたのだろう。自分が女であることを無意識下では拒否し続けていたがために、肉体も全く女になれなかった。十数年以上生理もなかったし、女である自分を自ら軽んじて捨て続け、自暴自棄に生きていた時期もあった。あれは本当に長く苦しい戦いだった。

今でも安心しきってはいない。ようやく一山超えた感じではあるし、こうやって過去十数年を振り返ることができる地点まで来れということは、つまり直接闘う日々は終わったのかもしれない。けれど、自分が女性であるということに纏わる葛藤は、女性として生きる喜びと同じぐらいに、 生きているかぎり感じ続けていく終わりなきテーマだろうと思っている。

女とはつくづく業の深い生き物だと思う。
しかし女として生まれてきたことを有難く感じる自分もいる今だ。

女であるということも含め、精神的根底における自己肯定がどうしてもできなくて、穴の開いた壊れたコップのようにいつも自分と他者が綯い交ぜで、「自分が自分である」という根本的な自己愛を大きく欠いていた若い頃。あの頃の自分の心の奥にぐるぐると渦巻いていた深い諦念と自己消滅への願い、またそれと同じくらいに根が深かった憎しみと強い反発心を再び思い返す。そして、私にとって、自分を受け入れるという問題は、自分が女であることを受け入れるということと同じだったと今になって気付く。

それにしても多くのことに反発して噛み付いてきた。
作家の五木寛之氏の著書や言葉に、一人勝手に「あんたに語られたくはないよ!」と子供のように反発して、ムカつきイラだっていた自分を思い返すと(かなり恥ずかしいのだが)、あぁ苦しかったのだなと改めて見えてくることもある。今では氏の著書や言葉に共感しているくせに。

自己受容と自己肯定、自己を信頼し他者を信頼するということは、私にとって本当に困難で重大なテーマだった。お陰で人生がうまく進まなかった。私の人生にあるのは挫折ばかりだった。端から見ればそんなことはないのかもしれないが、自分自身ではロクでもない人生だと思う(けれど自分ではっきりとそう言えるようになったのはいいことだ)。それはまた女として生きる上でも同じだった。

「35歳から本当の意味での人生が始る」と、昔から思い続けて生き延びてきた。理由などなく、ただ漠然とそう思っていた。そして今、あれはこういうことだったのかと腑に落ちている。もしかすると「35歳からは少しは楽になれる」と希望を持つことで、なんとか生きてきたのかもしれない。

ここまで書いてみて気付く。共感し、受容し、昇華し、育み、痛みと苦しみをも自らの糧としていく力とは、すなわち母性と呼ばれているものと同じだろうか。受け入れて、明け渡していくこと。私にとっての女性性の学びは、ようやく一段落したように感じる。

今はとにかく受け入れていきたい。それしかない。だって愛していくしかない。
受容したい。共感したい。共鳴したい。
愛したい。愛していたい。全てをひっくるめて受け入れて生きていたい。


ネットをうろうろしていたら、中村うさぎさんのインタビューに辿り着いた。20代の一時期、彼女の著書を漁るように読んでいた。豪快に自分自身を曝け出す彼女の姿は痛快で清々しかった。そしてまた、彼女自身の体験や内省に自らを重ねて自己を分析し、救われてもいた。

今は、彼女の過激な行動の裏にある心理がよく見える。根深い自意識の問題。病的なまでの自己への潔癖さ。そのことが以前も増して伝わってくる自分がいる。

これまでの道程、誰にも話していないこと、話せないようなこともたくさんある。それらは少し前まではだらだらと血と膿を流しつづける生々しい創傷だった。今はもう痛くはない。きっとかさぶたをはいだとて、もう血も流れまい。しかし、あんなことやこんなことを、私は墓場まで持っていけるのだろうか?いっそトイレにでも流して捨ててしまえればいいのだが。

けれど、私には必要だったんだよな、全て。
どうしたものかな、これ?どこか別の場所でぶちまける?




まとまりの全くない自分勝手な殴り書きだけではナンなので。
中村うさぎさんのインタビュー、あれこれ。
ぶっちゃけた内容なので、彼女の著書が苦手な方は読まないほうがいいかも。

月刊PBインタビュー 作家 中村うさぎ(ノンフィクショ
ンライター平井美帆さんのサイト
日経ビジネスAssocie 「ボク様」スペシャルインタビュー 中村うさぎさんに聞く
文芸春秋 本の話 佐藤優 × 中村うさぎ 『私のマルクス』カネと愛とキリスト教


中村うさぎさんから偶然辿り着いた(どうやら18日に都内でお二人のトークショーがあったらしい)鈴木祥子さんのインタビューもなかなか面白かった。実は私、この方のことを知らないまま勝手に敬遠していた。今思えばあれは無知が故の同属嫌悪と嫉妬だった気がする。(なぜ嫉妬?それは個人的な秘密。)


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2010年4月 5日

セラピーでもカウンセリングでもない何か

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これから先、カラーセラピーを再開することはもうないけれど、また何かしらの方法で人にお会いし、人の言葉に耳を傾け、人の心に心を傾け、人と静かに対話し、人の思いを共に見つめ、人の今を共に見つけることをやっていこう。不意にそう思い立った。

ある日突然セラピーを辞めたことに僅かな申し訳なさを抱いているのも確かだが、それよりも、自分に出来る数少ないこと、自分が本当にやりたいことは結局それではないかと思ったのだ。方法にこだわっていた気持ちが薄れてきたというのもある。手法やツールに関わらず、結局、私は人の心を映す鏡、言葉が流れる空っぽの筒でありたいだけだ。そうなることが好きなのだ。


あの時のあの方は、今頃どうなさっているのだろうと思い出すことがある。人には人それぞれに正しい時間があり、きっとあの方はあの方の今を、あの方なりに生きておられることだろう。それに対して、私が何をできるわけではないことも分かっている。

基本的に私はただの通過点でしかない。全ては一瞬交差するだけの点である。けれどもし、あの方がまた一人立ちすくんでしまう時があるとしたら。たとえ本当には会いにきてくださらなくとも、「そんな場所があったな」と思える場所であることができればいい。そんな時、私はいつもここにいますと言いたい。

会いに来てくださる方の中には、長い間心の内に思いや過去を抱きしめ、ただひたすら一人でそれに対峙し耐えてこられた方も多かった。たくさん涙を流される方もあった。そういう人の心の避難所は今どこに?と考えてみる。あの方々は他人ではなく、私自身だ。私も過去、長い時間を一人で黙して耐えてきた。話す場所がなかったし、話す機会がなかった。それは出口の無い暗闇の中を彷徨いもがくような日々だった。

本当は、避難所などなくてもいい日々が一番だ。家族が、友人が、恋人が、同僚が、先輩が、後輩が、互いの話に静かに耳を傾け、意見や反論するのではなく、ただ寄り添い受け入れることができるならば、避難所など必要はない。けれど、実際には、それはなかなか難しい。

いっそ、自分で自分をいつでも安心させられることができればいいのだが、人が自らの内にいつでも平和な自分のための避難所を持ち得るかというと、それもまた難しいことだろう。

だから、時に人は全く関係性のない他人にふと自らの心の内を漏らしたくなるのかもしれない。ただ耳を傾けるということは案外と難しい。相手との間に何かしらの関係性や、過去のつながりがあればあるほど難しい。だから、人は黙するようになる。自分で自分を抑え、時には自分を否定し、時には人を否定して、心を閉じる。


そんなに一人で頑張らなくてもいい、そんなに自らを責めなくてもいい。あなたが悪いのではなく、誰かが悪いのでもない。だからそんなに悲しみを閉じ込めなくていい。怒りを抱え込まなくてもいい。一人で全て担って、一人で全てを飲み込み昇華させようと頑張り過ぎなくていいのだ。どこかに、誰かに、助けを求めてもいいのだ。


昔の私がもし誰かにそう言ってもらえていたなら、どんなに救われただろう。人の悲しみ、人の心の痛みには、どこかしら自分の通ってきた悲しみや痛みとの類型が感じられる。人の苦しみは、私の苦しみによく似ている。だから、心を心で映したくなる。あなたの心はこんなにも頑張っているのだと声をかけたくなる。私の言葉は、あなたの心の奥底に眠る言葉だ。



そういうことだったのだな、と今になってようやく見える。「何も道具を使う必要はないじゃないか」という思いが突如頭の中に浮かんだ。そうか、そうか、と自分に自分で同意した。やり方にこだわるから遠回りをしていたのだ。常識や世間体をなんだかんだと気にしている自分がいたのだ。

心理学などをどこかで学んだ経験があるわけでもなく、ただ自分の経験を通じて人とお会いしていたのみ。自分ではセラピストというよりも、おがみ屋さんのようなものだと思っていた。セラピストとクライアントという二極的な関係性に抵抗があり、自らをセラピストともカウンセラーとも呼びたくなくて、いつも困っていたのが正直なところだ。


できることなら、ふと思い立った時に気軽に足を運べるような、身近な駆け込み寺でありたい。今すぐに何かを始めることはできないが、少しずつ動いていこうと思う。


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2009年3月18日

空を見上げてばかり

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立派な屋根が複雑に組み合わさった、色鮮やかな建物。どこだか分かりますか?

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神社が大好きな私ですが、神田明神へお参りするのは初めてのこと。
おおらかでオープンで「生きる」エネルギーに溢れる場所だと感じました。

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こちらは湯島聖堂。美しい建物の中は静寂に満ちていました。
一人静かに過ごすにはふさわしい、心落ち着く空間です。

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屋根の上には不思議な形をした神獣が。

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猫のような姿で牙を剥いているのは、鬼龍子(きりゅうし)。

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こちらは想像上の神魚、鬼犾頭(きぎんとう)。火除けの守り神です。

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聖橋を渡って、ニコライ堂の名で知られる東京復活大聖堂へ。
近くのホームレスと思しき方から、教会にまつわる話をいろいろとうかがいました。
ありがとう、おばちゃん。また会ったらよろしくね。

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雲一つない晴天の暖かな一日でした。


気づいてみれば、空の写真ばかりが増えています。
上の方ばかり見て生きているということでしょうか。

時々、世の中の速度についていけず、自分だけが立ち止まっているような気持ちになることがあります。そんな時にはいつも空を見上げます。空の青はいつでも美しくて、雲はいつでも悠然と流れています。

そういえば私は昔、空を見上げてばかりいる子供でした。友達の少なかった私は、よく一人で空を見上げてはその美しさに見とれ、その心地良さに身を委ねて何時間も過ごしていました。

空の青は心の帰る場所、そんな気がします。どんなに嬉しい時も、どんなに苦しい時にも、その青は決して変わりなく、ただただ静かに広がっています。

父のいなかった私には、空が父親のようなものだったのかもしれません。

何も考えず、ただ青い空を見上げる時間。決して失うことなく生きていたいと願っています。


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2008年12月24日

心に静けさと祈りを

Photo_4 私が通っていたミッションスクールには「お御堂」と呼ばれる、こじんまりとした祈りのための部屋がありました。

聖書もろくに読まず、神父様やシスターのお話にもほとんど耳を傾けることのなかった私は、もちろんキリスト教信者でもありませんでしたが、お御堂にはよく足を運んでいたのを覚えています。

生徒であれば誰でも自由に出入りができたお御堂は、しかしながら大抵は人の気配がなく、明るい日差しの差し込むその部屋は、いつも柔らかな静寂に満ちていました。中には桜の木で作られた木目の美しい長椅子が並び、正面には黒い木材を用いてデザインされた十字架が掛けられていました。

長椅子に腰掛け、すりガラスを通って届く優しい太陽の光を浴びながら、少しだけ曲線を描く黒い十字を眺めていると、なぜか気持ちが楽になり、体と心の緊張が解きほぐされるのでした。

あの頃の私はひねくれて世の中を斜めに見ていたからか、気の許せる友人があまりおらず、いつもどこか孤独で窮屈な思いをしていました。屈託なく日々を謳歌する同級生達を羨みながらも、なかなか素直に明るくなれず、音楽や読書にばかり傾倒して大人ぶっていた10代の私。今思い返してみれば、なんて自意識過剰で根暗な奴だろうと恥ずかしくなるのですが、それでも当時の私は私なりに精一杯「生きるということ」を考えていたように思います。

そんな頑なで内向的だった私ですが、お御堂の中ではとても活発でした。とはいっても、それは心の中のこと。私にとって、あの静けさに満ちた部屋で過ごす一人の時間は、心と感覚を自由に開放してイマジネーションを膨らませるための大切な時間だったのです。


・・・と、ふいにそんなことを思い出したのは、ジョン・レノン&オノ・ヨーコが歌う『Happy Christmas (War Is Over)』を繰り返し聞いていたある夜のことでした。


Happy Christmas (War Is Over)

So this is ChristmasHappy_xmas
And what have you done
Another year over
A new one just begun
And so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young

A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

And so this is Christmas
For weak and for strong
The rich and the poor ones
The road is so long
So happy Christmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight

A very merry ChristmasWar_is_over
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

And so this is Christmas
And what have we done
Another year over
And a new one just begun
And so this is Christmas
And we hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young

A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
War is over, if you want it
War is over now

Merry Christmas



繰り返される「War is over, if you want it」というコーラス。「あなたが望めば、争いは終わる。」という言葉には、ジョン・レノンが歌い、オノ・ヨーコが今でもさまざまな活動を通じて表現し続ける「Imagine~想像すること」というメッセージがしっかりと込められています。

思い描くこと。願うこと。信じること。望むこと。祈ること。
それらは必ず、現実を動かす力になるのだと彼らは言っています。

世界の平和を願う歌を耳にして、個人的な思い出を振り返るなんて、なんだか少しおこがましいことかもしれません。

でも、更にゆっくりと当時の記憶を巻き戻してみると、お御堂での静かな時間の中で、私は自分自身のちっぽけな願望ではなく、家族や数少ない友人達の健康と幸せ、穏やかで平和な日々を願っていたように思うのです。

それはもしかしたら、あの小さな祈りの部屋に満ちていた優しく温かな空気が、私の心の波を静かに落ち着かせ、ひとときの平和をもたらしてくれたからなのかもしれません。

平和で穏やかな心が平和へのイマジネーションを生み出し、平和を願う心こそが平和を実現する。そんな当たり前のことを思い出させてくれたのが、この歌でした。

最近は日々のあわただしさに追われて、つい心の余裕を失いがちです。クリスマスというせっかくの機会ですから、久々に一人静かに祈る時間を持とうと思います。

どうか私の心がいつも平和でありますように。 Photo_5
みなさまの心がいつも平和でありますように。
世界にいつも愛と光がありますように。

xmasHappy Christmas !!

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2008年12月 6日

大切な場所のこと 

11月28日よりしばらく旅に出ていました。

滞在先は京都。とはいえ、和歌山、大阪、神戸と、毎日あちこちへ走り回っていました。とにかく慌しい数日間で、移動移動の日々に体はくたくたでしたが、嬉しい再会と新しい出会いに恵まれ、温かい気持ちに満たされて東京に戻ってきました。

そんな旅の最後に訪れたのが京都のとある神社。関西へ出向く時には必ず立ち寄る、大切なお気に入りの場所です。



あれは3年ほど前のことでしょうか。ある日、私は川の夢を見ました。夢の中で、私はとても綺麗な清流の淵を歩いていました。そこはかなり山奥で、辺りには鬱蒼と樹々が生い茂り、濃い緑に包まれたその川の水はきらきらと輝くほどに透き通っていて、見ているだけで心が清らかになるような心地良さでした。

目が覚めた私は、夢の中で見た情景に不思議な懐かしさと恋しさを覚えました。そして私の頭に浮かんだのが「貴船」という地名。なぜなのかは分からないのですが「あの川は貴船川だ」と確信したのです。


京都の北方、山の奥に貴船神社という古い神社があり、そこには貴船川という川が流れていて、夏になれば川床が出されて涼を求める人々で大いに賑わう、ということは知っていました。けれど、そこを実際に訪れたことはなく、それなのにどうして「あれは貴船だ」と思ったのか、それは今でも全く理由が分かりません。

その後、夢の中で見た清らかな川の流れを何度も思い出し、徐々に「あの場所へ行きたい」という思いが強くなっていきました。そして、とにかく一度貴船へ行ってみようと旅の計画を立て、夏の終わりに京都へと出向いたのでした。


ねっとりと纏わりつくような暑さの残る京都の街を出て、一路北へ。たどり着いたのは、夢の中で見た光景とよく似た場所でした。深い深い緑の中を、しぶきを上げながら流れる清流。空気までもがたっぷりと湿っていて、まるで瑞々しいゼリーに包まれているかのようでした。

貴船神社は、参道の階段に赤い灯篭が立ち並ぶ本宮が有名ですが、そこからさらに700mほど上流に、元の本宮である奥宮があります。その日はいろいろな偶然が重なり、私は本宮よりも先に、奥宮を訪れることになりました。まだ川床が出ている時期で、本宮の辺りは多くの人で溢れていましたが、うってかわって奥宮は人の気配もほとんどなく、ひっそりと静まり返ったお社は厳粛な空気に満ちていました。

古い木の門をくぐり、中へ足を踏み入れてみれば、そこだけは別の時間が流れているかのような静けさ。と、不意に心がざわざわと波を立て始めました。そして、突如として目から涙が溢れてきたのです。夢で見た場所にたどり着けた喜び、沸き起こる不思議な安堵の思い。様々な気持ちが心を行き交い、大きく揺さぶられた感情は涙となって、私の身体から流れ出したのでした。



その頃の私は、自分の生き方に迷い悩んでいました。自分はこの先何をしていきたいのか。そもそも昔から精神的な浮き沈みが激しく、いつも悩みの尽きない自分が生きていることになんの意味があるのか。こんなにも頼りない自分が、人の役に立ちたいと思うことなど、間違いも甚だしいのではないか・・・。自分が何を望み、どこへ向かいたいのかを見失い、真っ暗なトンネルの中を手探りで歩んでいるような日々に、身体も心も疲れ果てていました。

また、幼い頃からずっと抱いてきた生き難さ、拭いきれない母という存在への根深い恐怖、自分が価値のない存在としか思えない自尊心の低さ、どうしても抜け出せない自己消滅への憧れ、そのようなものを、長らく引きずって生きてきて、生きる気力を失いそうにもなっていました。

もしかしたら私は、そんな様々な葛藤を一度きれいに洗い流すために、水の神様を祀る貴船への旅を決意したのかもしれません。


とにかく気持ちを落ち着かせようと、境内にある木のベンチに腰をおろし、水気を帯びた空気を肺の中へと深く吸い込みながら、濃淡とりどりの緑を眺めて数時間を過ごしました。しっとりとした水の気に覆われて、辺りに響き渡る水の音に耳を傾けていると、身体も心も清められていく気がしたのを覚えています。いつまでもここにいたいと思えるほど、不思議な心地良さと懐かしさに満ちた場所でした。

一面に漂う濃厚な水気に身も心も洗われ、ようやく落ち着きを取り戻した私は、奥宮のご神殿に向かいました。まずは深々とお礼をしながら、この地を訪ねることができたことへの感謝の気持ちを心の中で唱えて。そして、さぁ願い事を、と手を合わせてみたものの、そこから先の言葉がさっぱり出てきません。確かに救いを求めているはずなのに、神様に何をお願いすればいいのかが分からないのです。すっかり焦ってしまい、頭の中は真っ白でした。目を閉じて手を合わせたまま、何分間そこに立ち尽くしていたことでしょう。

そして、不意に、あることを熱心にお願いしている自分に気づきました。それは、あまりに突然の願いであり、意図せず沸き起こった切実な懇願でした。そこで私は、ようやく自分の本当の意志に気づいたのです。


思えばあの時、ようやく私は「自分がこの人生で何をしていきたいのか」という、自らの意思を見たのでした。心の奥底に眠っていた本来の願い、ずっと抱き続けてきた願いにやっと気づいたのかもしれません。あの日を境にして、私の人生は大きく方向を変えました。

私の中で長らく止まったままだった時計が、ふいに動き始めました。あの、初めて貴船を訪れた日をきっかけとして、私はやっと自分の人生を引き受ける決意をし、生きていてもいいのだと自らに言えるようになったのです。



貴船は、古くは「気生嶺」「気生根」とも記されていたのだとか。それは大地のエネルギーである「気」が生ずる山、「気」の生ずる根源として、人々の崇敬を集めてきた場所であることを示しています。不思議な偶然に導かれてたどり着いた貴船という地は、古来からのパワースポットだったというわけです。

あれから私は時々水にまつわる地を旅しています。どうやら私は流れる水、それも山間をほとばしる清流が好きなようです。

そういえば、貴船神社の本宮には、このような立て札がありました。


【水五訓
一.自ら活動して他を動かしむるは水なり
一.常に自ら進路を求めて止まらざるは水なり
一.自ら清くして他の汚水を洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり
一.障害に遭い激しくその勢力を百倍するは水なり
一.洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲となり雪と変し霧と化し凝っては玲ろうたる鏡となる、而もその性を失わざるは水なり



ところで、みなさんには大切な場所はありますか?それは一体どんなところですか?




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