いのり

2012年11月20日

if you want it

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イスラエルとパレスチナに関するニュースを読んで、少し動揺する。
そして、身の回りの人々のことを思い浮かべ、自らの心を見る。

ちょうど今日、JohnとYokoの歌を思い出していたところだ。
「戦争は終わる。あなたが望むなら。」

しかし、戦争は世界で起き続け、心の中でも起き続けている。


一人一人の心が世界を作るなら、まずは自らの心が平和であるように。


そして、皆の心にも平和がありますように。
心にゆるしがありますように。
心と心に和解がありますように。


世界のあらゆるところに光がありますように。





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2012年7月21日

affirmation

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歪められ、奪われ、引き裂かれ、否定され、自らでも損ない続けてきた自由と肯定を、取り戻し、組み立て、築き直して、再び自らのものにしていく旅の歩み。とらわれなき自由な人の喜怒哀楽とその人生はひたすらに眩しく、それは、私もそのように生きていきたいと願う自分を見せてくれる鏡でもある。


いきいきと、楽しく、身軽に、自由に、思うまま、素直に、喜び、笑い、たった一人で、そしてまた人と共に、惜しみなく、遠慮なく、与え、受け取り、苦しみをも享受し、悲しみを抱えながらも尚喜んで、循環し続けていきたい。


どうか、心に美しい夢を描き続ける力を。




決して聴く者を圧倒せず、何かを押し付けることもなく、それでいて美しい世界へといざなってくれる豊潤な音楽。




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2012年7月 4日

癒しと和解

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癒しとは、目の前に現れた問題をただ消し去ることではなく(際限なく問題は起き続ける)、その問題の奥に潜むメッセージに気づき、それを引き起こす根本となった自らの執着や記憶、不必要に抑圧された感情、押し殺された過去の自分などを自らで認め、受け入れ、ゆるし、肯定して、知恵や感謝へと反転させる作業なのだと思う。それはまた、無意識の中に潜むもう一人の自分との和解とも言える。


自分という殻の外側に和解をもたらすには、まず殻の内側にこそ和解が必要で、和解と肯定によって安らぎを生きられたなら、その人にとっては世界もまた同様のものとなるだろう。「和解」と言葉にするとシンプルだが、そこには多くの過程と要素が含まれている。しかし、それは決して不可能ではない。「私は私を癒し、私と和解する。」という決意と勇気が必要なだけだ。


楽しんで、喜んで、幸せに生きる心。
自分という殻の内も外も安らかで幸せであれる生。
私にも、あなたにも、その実現がありますように。




日本を代表するスティールパン奏者であり作曲家でもある原田芳宏さんの未発表作品「shizuku」。風に揺られた木の葉から舞い落ちる水滴のように、透明な輝きと優しい色彩感に溢れる美しい音色。




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2012年6月 6日

practice

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Patience and Silence.
They are positive action of true wisdom.


Just keep silence.
And waiting for the voice of silence.


The practice of silence lead you to the way of salvation.




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2012年4月 1日

prayer

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祈りとは、届くか届かぬかいうことのために行われることではなく、届こうとも届かなかろうとも、ただひたすらに思いを放棄し、放棄しつくしたところでなお溢れ出る言葉を天へとささげる行為であり、それは誰のためでもなく、ましてや自分のためなどではなく、ただ祈りとしてそこにあるもの。


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2012年1月 9日

肯定へ

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「~してはいけない」「~は悪いことだ」「~だからダメだ」「~だから良くない」「~になってはいけない」「~するな」「~なのはお前が悪い」・・・一体どれだけの否定を浴びせられ、それによってどんなにか傷付き、己を否定し、内なる抑圧を抱えて生きているだろうか。


そうやって他者によって裁かれた(そして傷ついた)経験を経て、人は自らで自らを裁くようになる。そして裁かれた自己は否定され、内面へと強く抑圧される。そうしてやがて人は同じように他者を裁くようになるのだ。


どうか多くの心が、そんな根深い因果から自由になることができますように。自己を統合し、否定することなくすべてを受け入れられる時が訪れますように。




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2011年12月 6日

若き友へ

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人生は決してあなたを裏切ることはない。悲しい出来事も、辛い体験も、どんな痛みも苦しみも、全ては人生があなたに与える糧であり、天からの大切な贈り物なのだ。十分に悲しみ、その痛みや苦しみを味わいつくし、そうしてまたそこから新たに生きていこう。


人生は、あなたが悲しみや痛みばかりを見つめて閉じこもり、感情に溺れ続けることを決して望んではない。天はあなたに「なお、立ち上がり、生きること」を望んでいる。そして、あなた自身も本当はそれを望んでいるはずだ。あなたは、あなた自身の悲しみを通して、誰かの心の奥に隠された悲しみを見ることができるようになり、あなた自身の痛み苦しみを通して、誰かの痛みや苦しみを知ることができるようになるのだ。天は、あなたが再び立ち上がり、その悲しみ、痛み、苦しみを、生きることへと還元していくことを願っている。


辛い別れ、ひどい裏切り、失望、失敗、失恋、そんなありとあらゆる喪失の体験。その悲しみは消えることはないかもしれないし、その傷はずっと痛み続けるかもしれない。でも、それでもなお生きていくということ。それを人生は望んでいるし、あなた自身もそう願っている。


悲しみに留まり、失ったものを求め続けることがいけないというわけではない。けれど、一体あなたは何を失ったのだろうか?そのことを、よく考えてみてほしい。失ったのは誰かや何かの存在ではなく、実は、あなた自身の内にあった期待や欲求、またはそれへの報いや返答だったのではないだろうか。そして、あなたは、本当は何も失っていないのではないだろうか。


その悲しみはさぞかし深く、その喪失感はとてつもなく大きく、だからこそ、あなたの心は過去に留まり続けようとするのだろうと思う。そんなあなたの姿を思うと痛々しい。しかし、厳しいようだが、それでも人は生きていかなくてはならない。そして、自らで自分を救い出し、自分で自分を幸せにしてやらなくてはいけない。


あなたには、まだまだたくさんの出会うべき人があり、成すべき働きがあり、辿り着くべき場所がある。そこへ向かうようにと、人生はあなたに望み続け、語りかけている。その声をどうか聴いてほしい。あなたが本当に望んでいること。それは、何よりも「あなた自身を喜んで生きること」ではないだろうか?


悲しいときには安心して悲しもう。感情はあなたを覆いつくし、一時期あたなを飲み込んだとしても、決してあなたを壊しはしない。でも、それでもどうしても辛いときには、勇気を出して助けを求めてほしい。そして、あなたがあなたの悲しみを通して人の奥に隠された悲しみに気づけるようになったとき、そこからまた新しい人生が始まっていく。


どうか、あなたがまた今を見つめ、未来を希望し、笑顔で、喜んで、あなた自身を生きはじめる日が早く訪れますように。そしてどうか、あなたが、あなた自身の悲しみを通して、より豊かに人と交わり、より優しく自分を、人を、世界を、愛することができますように。





Nelson Cavaquinho & Guilherme de Brito。偉大なるサンビスタ、詩人の魂をもつ音楽家、心の歌をつむぐ人達。いつだって大好きなとっておきの歌だが、枯葉散るこの季節には、特に歌いたくなる。





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2011年4月 2日

安心でありますように

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どこにいても、何をしていても、誰といようとも、どのような状況であろうとも、変わらぬ安心で在り得るように。肩書きでも、立場でも、関係性でもなく、ただ、そう在るだけということ。それは、静かな静かな充足。


安心であること。安寧であること。穏やかにあること。
ここからそう生きていけますように。



助けようと思わなくとも、役に立とうと意志しなくとも、理解しよう、受容しよう、救おうと意図しなくとも、ただ無心に在り、ただ正直に、熱心に、ひたすらに生きるということだけで、人は人に影響し、何かを与え、成就している。そこに意味や理由などはない。ただそれだけのこと。


役立たずでいいし、意味などなくていい。愚かで、弱くて、脆くて、情けなくていい。愚直に、熱心に、喜んで生きていれば、それでいい。


安心でありますように。



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2011年3月15日

安心がありますように

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安心とは、誰かから与えられたり、保障されたりするものではないということを、学ばされているように思う。情報をどれだけ集めようと、どれだけ精査しようと、それそのものが即安心になるかと言えば、決してそうではない。安心とは、自分自身の在り方だ。安心とは、心配がなくなることではなくて、いつでも落ち着き安らいでいる心のことだ。


被災者ではない自分は、本当にやるべきこと、成すべきこと、生きるべきことを、見失わずにやっていかなくしかない。さて、私に何ができるだろう。今はとにかく、安心をもって、前向きに、明るく、元気に、笑顔で、穏やかに、日々働いて生きるしかない。


この4日間、被災地以外でもなかなか眠れない人が多いだろうし、それゆえに、不安や不満が高まりやすくなっているかもしれない。だからこそ、明日目が覚めたら、また新しい一日を、明るく、楽しんで生きよう。身近な周囲と、和やかさと安心を分かち合えるように。


不動心と安心を自らの裡に願いながら、眠りに就く。


どうか、すべての人の心に安らぎと希望がありますように。助かる人ができるだけ早く助かり、困難の中にいるすべて人に支援の手が早く届きますように。一日でも早く復興が進みますように。すべてのものが早く落ち着きを取り戻しますように。


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2011年3月12日

2011.03.11

震災で亡くなられたすべての方へ、衷心より深く哀悼の意を捧げます。
また、被災された皆さまには、心からのお見舞いを申し上げます。


大切なご家族、住まい、思い出、多くのものを失われた方々の悲しみを想像すると、言葉を失います。


不自由な環境、不安な状況に耐えておられるすべての方に、少しでも早く穏やかな日々が戻りますように。

被災された方々、救助や支援に尽くされている方々、遠く離れた地で心を痛めておられる方々、すべての人の心に、安心と平和がありますように。

すべての人に、笑顔が戻りますように。


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