音楽のこと

2015年2月22日

Paco de Luciaの音


ちょっぴり久しぶりにまた観てしまう。
彼の魂が肉体を離れてもうすぐ一年・・・


「どのようにすれば彼のような音が出せるのか、奏でられるのか」という問いに、あるミュージシャンは「そういう音を出そうとするから、つまりそこを見ているからだ」と答えてくれた。


Paco de Lucíaの音はPacoが見ていた色であり、彼が求めた音。
そしてそれは彼自身でもある。
その音が私は本当に好きだ。




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2015年2月11日

音がいざなう無限の静寂

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いつも、いつも、音は意図を超えて色を描きだし、メロディーは予想を超えて物語を紡いでゆく。重なり合う音と音とがたえず移ろう色彩となり、奏でられるメロディーがあてのない夢のような情景となって、時をほどき、わたしをほどいて、意識を遥かへと運んでいく。


美しい音楽、美しい色彩。


わたしが溶けてただ音となり、時が蒸発してただ波となり、流れる色は漂うように広がり、うつろう彩は踊るように揺れる。始まって終わるものでありながら音楽はその内に永遠を有していて、だから、音の奥に溶ける心は無限の静寂を垣間見る。



2/10の夜、吉祥寺StringsにてPAN CAKEのすばらしいライブ演奏に包まれながら記した言葉。



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2014年2月26日

Paco de Lucía

Paco de Luciaが亡くなった。


世界最高峰のギタリストであることは言わずもがな、彼は唯一無二の美しい音楽を世界にもたらした稀代の音楽家であり、類稀なる才能とエネルギーを有する偉大な芸術家だった。


人は、誰しもがいずれ必ず肉体を離れ行くものではある。そして、彼の音楽は消えることはない。しかし、それでもやはりこのショックは大きく・・・


彼の音楽は、私の心と体と魂にはかりしれぬ力を与えてくれる、まさにこの世の宝。その音は本当に特別な響きでもっていつもいつもこの肉体を癒し、心を震わせ、魂を導く。


ありがとう、Paco。
あなたの音楽は私の魂の栄養、命の要素です。
これからも変わることなく、あなたの音楽を聞き続けていきます。















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2014年2月21日

音の色彩

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音楽というものは、なんと自在で限りがないのだろう。音楽は命の輝く発露、魂の美しい昇華なのだと、何度も何度も思わされている。個の肉体を通して溢れ現れ出てしまう音と音とが重なり、交わり、溶け合いながら互いを刺激し、呼び起こしては、意図も期待も超えていく。そこには音楽という形で宇宙までもが立ち現れる。いつも、いつも、音楽という時の色彩に感嘆している。


無限に自在なる美しい音楽というものを生み出す肉体の奇跡と、それを成し得るミュージシャンの才能にも感嘆し続けている。そして、ある種の特別なミュージシャンは時空を変化させということを改めて体感してもいる。時間が変容し、そこに音楽という時空が生まれだしてしまうのだ。


音(音楽)は思考を伴った時点で音(音楽)を超えゆく命を失い、言葉は概念を伴った時点で言葉を超える力を無くす。思考の枠にとらわれず自在に羽ばたく音(音楽)と、概念をするりと抜け出して自在に広がる言葉は、いずれもそこに空間を生み出し、色彩を現していく。


それにしても私はまったくもって貪欲で、だからこうして飽きることなく音の悦楽を求め続けている。美しい音の色彩に醒まされ、意識を凌駕する音の波に刺激されて、音楽という時に溶け出す瞬間は、永遠のエッセンスを味わう至福のときなのかもしれない。






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2014年1月15日

musica

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いい音楽はいつだって期待を大きく裏切り、予想を遥かに超えて、それはそれは豊かなバイブレーションで精神を一瞬にして宇宙へと羽ばたかせる。心地よい音の色彩、その形を超えた波はどこまでも浸透しては体を深く揺さぶり、心を自由へと解き放つ。音楽という現象に溶け出す瞬間は、永遠の喜びを垣間見せてくれる。


音楽とは、生命現象なのだと改めて思う。それは命の発露であり、精神の飛翔であり、魂の爆発であり、そして、それは個々の肉体をもってこそ生み出され得る時の変容。命とは、そして人とは、なんという奇跡だろうか。




時間とは、とてつもない恵みなのかもしれない。この肉体をもって生きる上で抗いうようのない時というもの。それは、まったく見事な整合性をもって、ただただ正しく起きている。苦しみの時も、痛みの時も、もちろん喜びの時も、すべての時はきっと等しく美しい。これぞまさに宇宙の采配。





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2013年12月11日

ひとりごと、またひとつ

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一枚の写真のそれはそれは遥かな沈黙の中に、決して鳴りはしない音を聴き、決して見えはしない色を見る。その中に流れ続ける永遠の時間に吸い込まれ、そこに起き続けている無限の変化に心を解き放つ。物語ではなく、目的や意図でもなく、そんな永遠を閉じ込めたような写真にいつも惹かれる。


音だって同じだ。音の美しさというときには、それは即ち音と音との合間から微かにほのめかされる無限の奥行きを有する静寂の、その遥かな遥かな美しさのことを同時に指しているように思う。


Josef Sudekの写真を眺めながら、そんなことを思っていた。



そうだ、今夜は友人からJim Hallが亡くなったと教えられたのだった。また一つ大きな炎が静かに消えていったのだね。たくさんのすばらしい音楽の宝物をありがとう、Jim Hall。




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2013年10月26日

Milton Nascimento e Mercedes Sosa

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あるミュージシャンとの会話の中で、Milton Nascimento とMercedes Sosaのことが話題にのぼった。二人の歌声は、宗教化する前の根源的なシャーマニズム・・・それはまたアニミズムにも近いものだろうか・・・とでも言いたくなるような、言葉では説明しがたい力を感じる。あの不思議な波長とエネルギーは、まさに大自然そのものかもしれない。


その歌声は大地の精霊を呼び起こし、天の御声を引き寄せる。広がる空、陽の光、過ぎ行く雲、渡る風、輝く水面、揺れる木々、笑う草花、うごめく虫、飛び交う鳥たち・・・そんな世界のあらゆる現象がまるで己の内側そのものであるかのような、不思議な情景を体感させてくれる。


その歌は自己表現などという言葉を超えていて、きっと彼等は本当に本当に、自然や宇宙”そのもの”になれる極めて稀な存在なのかもしれないと思う。表現者・・・であることに違いはないのだが、どこかその言葉がふさわしくない気もする。それにしても、声とはなんとおもしろく不思議な奇跡だろうか。



Miltonの歌声に導かれて時間が巻き戻る・・・いや、それは巻き戻るという感覚ではなくて、過去のさまざまな瞬間の断片がふわりふわりと無作為に引き寄せられては蘇る。今というこの一点に全てのみ込まれ、同時に、今というここから全てが生まれる。この肉体に、無限の空間を感じている。


すべてが祝福されている。そんな風に思いながら、耳に聞えぬハーモニーに心を馳せる。その美しさに感嘆し、その甘美さ、その甘露、この肉体をもってここに生きているという奇跡の愉快さを思う。





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2013年5月23日

Peter Erskineにお会いしました!

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まさか、あのPeter Erskineに会える日が来るなんて!!


Miles Davisに最も近づいたと言われる写真家・内山繁さんのお店Jazz & Cafe Gallery  "Whisper"にて。来日中の世界的ドラマーPeter Erskine氏が、Wether Report時代から親交の深い内山さんのお店を訪ねられるということで、密かに催されたプライベートイベントに参加させていただいた。


Peter Erskine氏が出版した「No Beetoven」についてのエピソードから始まり、絶頂期のWeather Reportについての話をたくさん聞かせていただいた。また、内山さんによるWeater Reportメンバーの写真(Jaco Pastoriusは内山さん以外に写真は撮らせないほどだったとか!)の数々も素晴らしかった。他では決して聴けない話も飛び出して、とにかく最高に楽しい時間だったが、何よりも、Peter Erskineという人物のそのエネルギー、波長、オーラ・・・なんと言えばいいのか分からないが、とにかく、彼という存在に触れられたとことが最高の体験だった。


それにしても、世界レベルのミュージシャン(表現者)というのは、なんてオープンで、自然で、ありのままに「その人」なのだろうか。(以前、ブラジルの至宝とでも言うべき世界的ギタリストToninho Hortaに会ったときにも、まったく同じように感じた。)だからこそ、その存在はとてつもなく大きくて、迷いがなく、根源的にポジティヴなのだ。それだけでなく、やっぱり「だからこそ」最高にユニークで、その存在はまさに音楽そのもの。そして、その魂と肉体の放つ熱量といったら!


ミュージシャンのみならず世界的に大きく広く活躍する才能(存在)は、当然ながらとてつもなく大きなエネルギーを放っている。それはまさに惜しみなく溢れ続ける愛そのもので、その愛は個人的な思いや考えなど遥かに超えて溢れ続けている。所謂「愛」という言葉を超える純然たるエネルギーとしての愛。


Peter Erskine氏もやはり、その存在がまさに彼の音楽そのもので、彼がそこに居るだけで、そこには彼の音楽に直に触れているのと同じだけのエネルギーが溢れ、その場にグルーヴが満ちていく。だから、もう、傍にいて彼の言葉に耳を傾けているだけで、身体も心もとにかく揺さぶられるのだ。


その存在に触れるだけで、とてつもなく大きな”グッドバイブレーション”がもらえるって、これは本当にすごい体験だ。物質的な次元を超えた計り知れないギフトをいただいてきた夜。こんな機会に恵まれるなんて、私は本当に幸せ者だと思う。



Peter Erskine氏
と奥様、素晴らしい機会を作ってくださった内山繁さんJazz & Cafe Gallery "Whisper"スタッフの皆様、そして周囲のミュージシャンや関係者のみなさん、本当にありがとうございました!





【追記】
興奮のあまりに殆ど眠れずに迎えた翌朝、目が覚めた時に、短い眠りの中で実際のJaco PastoriusやJoe Zawinulに会ってきたかのような感覚があった。あれはきっと、Peter Erskine氏から聞いた数々のエピソードから、彼等の波長を感じ取り、受け取っていたからなのだと思う。

Peter氏が語るJaco PastoriusやJoe Zawinulは、正に彼らの音と音楽そのもので、エピソードが飛び出すたびに「やっぱり!」「そうか!」と嬉しくなった。Peterを通して私はJacoともJoeとも確かに会ったのだと思う。それは出会いでありながら確認でもあった。

それにしても・・・Weather Reportというグループは、なんてスケールの大きな怪物だろう。いやはや、この興奮をいったいどうしたものだろうか。この刺激と揺さぶりは、いったいどこへ連れて行ってくれるのだろう。。。




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2013年5月12日

音楽についての走り書き

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音楽は本当に不思議だと、ライブ会場で素晴らしいミュージシャン達の演奏を観ながら、時々そんなことを思っている。目の前で起きているのは確かに「音楽」なのだが、果たしてそれは時を越えてた「現象」で、しかし、そのことを言葉で説明するのは非常に困難だ。


敢えて言葉にするならば、音楽とは色彩に似た何かで、素晴らしい音楽が生み出されているその現場では、様々な色彩が生まれ出ては変化して、複数の色彩が自由に自在に、そして自然発生的に交わり、重なり、融合し、広がって、予測を超えた彩を成していく。それは、もしかしたら、エネルギーと呼ばれる何かなのかもしれない。


優れたミュージシャン達は、空中のあらゆるところに偏在している目には見えない音楽の「種」を、どのようにしてか掬い上げ、拾い上げ、汲み上げて、瞬間的にそれを音として奏でて、素晴らしいサウンドを創り上げ、そこに「音楽」という時間を生み出してしまう。


それはあたかも魔法の如き作業と行為で、ミュージシャン達が瞬間瞬間に互いの「音楽」を引き出しあい、そこに生じる音楽という時間を無限に広げていく様は時に理解を超えていて、不思議としか言いようがない。そして、これは(彼等には)一体何が起きているのだろう?と思ってしまうのだ。


音楽は時間そのものでありながら、時に時間を超えている。素晴らしい演奏(特にジャズ)を体験しながら、ふと時空の歪みを覚えることがある。そこだけ時間が異なってしまうのだ。「音楽そのもの、時間そのものになる」という表現が近い。優れたミュージシャンは、演奏しながら、その存在が時間になり、音楽になっている。そしてまた、素晴らしい演奏を体験すると、聴く側もまた同時に音楽そのものとなり、時間そのものとなる。だから、時空の歪みを覚えるのだろう。


私にとっては、瞑想や催眠やヒプノセラピー等に触れるよりもずっと以前から、音楽こそが時間を超える体験であり、そして、時間そのものになるということを体感でもって実感させてくれる素晴らしい宝物だった。音楽は、最も日常に近いところにある「不思議」「超常現象」なのではないかとすら思う。


感情移入ではなく、思い入れや圧倒による興奮でもない、「音楽」という美しくも不思議な「現象」による、認識を超えた深い感動。命そのものの発露としての「音」の色彩と、その自発的発生と変化、そして自在な広がり。無限でありながら有限であり、時でありながら時を超える、音楽というものの不思議。


このことを思うときはいつも、15歳で初めて聴いたBill Evansの音を思い出す。あの時の衝撃といったら、それは正に言葉では説明できぬ驚きで、「一体これは何なのか?」とただただ不思議でしかなかった。


あの日から、私は未だに音楽に驚き続けているのかもしれない。そうやって驚き続け、不思議を体感し続けることを欲すると同時に、音という目には見えぬ色彩の美しさに心を震わされ、自らも音楽そのものとなり時間そのものとなるという至福を求め続けているのかもしれない。




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2012年9月25日

ふと、ただふと、

 201209

意図や思想を知らしめるための表現ではなく、そんなものを遥かに超えた自然発生的な命の発露。この肉体や意識から時間を忘却させると同時に、時というもの、その不可思議の輝きを体感させてくれる音楽や写真や言葉が好きだ。


過去も現在も未来もなく、あるのはただ今この瞬間で、しかしその一瞬が同時に永遠であり、そしてその一瞬なる永遠においては自分と他者(または世界)という隔たりなど存在せず、見えているのはみな時の幻影とでも言うようなもの。しかし、その幻の輝きと美しさこそ命の喜びであり、そのことを教えてくれる芸術(とりわけ音楽)が、とても好きだ。







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