ひとりごと

2015年11月15日

世界を創造するということ

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外側に発見するものはすべて内側にあるものだ。内側が安らいでいれば、外側も安らぎに満ちていくし、内側が素直に循環していれば、外側の循環もスムーズで豊かなものとなる。もし外側が足りないと感じるなら、それは、内側への関心と認識が足りていないということだ。


外へと求め、外へと働きかけるエネルギーを、内を認め、ゆるし、満たすことへと注ぐほどに、外側もまたゆるされ、満たされていく。


何かが本当に足りないならば、今ここに存在していないのだ。だから、今の大丈夫を本当に知れば、安らぎも豊さも内から外へと響いていく。


誰かを助けようとする前に、何かを変えようとする前に、自分を知り、自分を認め、自らを満たすことが先だ。それこそが己を知るという本当の謙虚さであり、そして、自らに安らぎ、自らを幸せにできる者は、存在するだけで周囲に、世界に、安らぎと喜びを届けていける。
安心も、喜びも、いつでも内側で発見されることを待っている。認められ、ゆるされ、放たれることを待っている。


内側にあるエネルギーを正直に表すことで、望みは創られていく。
安心と喜びに満ちた世界が創造されていく。



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2015年11月14日

Seraphim

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                             "Seraphim Ⅱ" by Dan Hillier


『それは抵抗するかもしれない。
様々に煽り、揺さぶるかもしれない。


しかし、内なる安らぎがもたらす力は決して消えることはなく、内なる喜びが鳴らす響きは決して途絶えることはない。


自分自身でありなさい。
真の自分へ還りなさい。


そうして、
安らぎそのもの、喜びそのものでありなさい。


それこそが愛です。
それだけで十分です。』


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2015年11月13日

nothing but

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川のように流れていく無数の言葉が鳴らす大音響の中にも、ふと特別に響いてくる音があり、よく耳を澄ませてみれば、それは天上の響きを宿す言葉で、ああ、もう、必要なのはそういうものだけだと思う。


それは言葉ではなく、人でも、フォームでもなくて、
そこに流れるエネルギー、そこに宿る波動なんだ。



If you look to closely at the form, you miss the essence. - Rumi



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2015年11月12日

幸いも、美しさも

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幸は自らの内にあるように、美もまた自らの内にある。


どんなときでも、どんなことがあろうとも、自らを幸せにすること引き受けた者に、世界はいつでも優しく手を差し伸べる。他者の判断や価値観に委ねることなく、どんなときでも自らの美を誇り、いつでも美しくあろうとする意識が、形を超えた美を体現させてくれる。


幸せも、美しさも、外側のカタチではなく、内的状態の現われだということ。幸せも、美しさも、何にも損なわれることはなく、何に奪われることもない。


自分の幸せ、自分の美しさ、自分であるという尊厳は、誰かや何かによって護られるものでなく、自ら責任をもつべきものであるということ。それこそが真に謙虚な姿勢であり、命への最大の讃美だろう。


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2015年11月11日

美学とスタイル

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「それは、ひとときを埋めるための消費か?それとも、喜びに基づく奉げものか?」


素直に素敵だと感じたある品物、作者の素晴らしい感性とイマジネーションに深く共鳴した品に出逢い、購入しようかどうかを迷った時に、ふと浮かんだ問いがこれだった。そして有難いことに、ちょうどそれを購入できるだけの収入が入ってきた。


美しいことがいつだって基準だ。何かしら対象を美しいと感じるというだけでなく、そこに共鳴する自らの内的な動きが美しいかどうか、そこに向き合う自らの姿勢が美しいかどうか。


誰かや何かにおもねた判断ではなく、自分から逃げる口実でもない、自分自身の正直な感性と哲学。それは、生きる上での美学であり、スタイルであり、そして本当に命が納得しているかどうかということでもある。


ありがたくめぐってきたエネルギーに新たな喜びと感謝を載せて、惜しみなく美へと奉げよう。



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2015年11月10日

命を通らせる

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この肉体、わたしやあなたという存在はエネルギーの器のようなもの。いや、エネルギーそのものとも言える。あらゆる現実が無数の粒子の流れであるように、存在とはうつろい続けるエネルギーの現われだろう。

だから、エネルギーをどこにチューニングするか、どう響かせるかで、創られる現実も無限に変化する。自らのエネルギーを素直に、正直に、そして自主的にチューニングして響かせるだけだ。


そのためにはまず、自分が何を望んでいるのかを知る必要はあるけれど。内側を整えるほどに、わたしは、あなたは、世界そのものであることが見えてくる。自分即世界、いつだって望み通りに響きあい、受け取っりあって生きている。


自分の内側を自らで整えること。自分のエネルギー、意識状態に自分で責任を持つこと。どんな影響を受けようとも、自分を自分で引き受け、自分の正直を信頼する。そうすれば、いつでも、どこにいたとしても、自分が自分を助けていく。そうして世界は自分の反映であることが見えてくる。


『命を通らせましょう。
疑い、おそれ、止めることなく、命に任せて委ねましょう。
喜びの道は、いつでも命が教えてくれます。』




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2015年11月 7日

不安もエネルギーに

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それがほんとうに必要なのか?
それでなければならないのか?
それをしなければならないのか?


そもそも、それが無ければ生きられないのか?


自らにまっすぐ問うてみれば、すべては根拠のない不安から生じる思いこみであることが見えてくる。不安は不安のままに認めれば溶けていく。


ポイントは、何かに結びつけないこと。


理由をつけずにちゃんと見つめて、自らそれを受け入れれば、不安だって味方になるし、より快適に生きるエネルギーになる。


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超えていく力

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結果を握らない。
展開を決めつけない。
未来を想定しない。


それらを手放して捨てたところに、より善い、より快適は流れ込む。


そうなってもいいし、そうならなくてもいいと委ねれば、都度の最善がやってくる。どこまで手放しで本音になれるか、どこまで委ねて正直になれるか。その時々の正直が、予想を超えた次を拓く。捨てることで、新たに開く。


自分自身であること。
どこまでも、どこまでも。
それこそが超えていく力。


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2015年11月 6日

すべてはエネルギー

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好ましいとか好ましくないとか、気が合うとか合わないとか、そういった物質的次元、人柄や性格といった現世的な面とはまったく異なるところで、エネルギーによってすべてが起きて、エネルギーがすべてを運んでいる。


繋がるエネルギーとしか繋がれないし、速度のあう人としか一致しない。
どちらが正しい間違いではなく、ただそれだけのことなのだ。


そこで無理をすれば執着となり、捻じれが生じて思いが邪になる。そこで握ると嘘となり、歪みが生じて苦しみとなる。邪とは人格や性質ではなく、場(人もまた場である)に起きるある種の流れのようなもの。


自我レベルでは共にいたくとも、共にいられぬエネルギーがあり、物質的レベルで共にいなくとも、響きあえるエネルギーがあり、それは自我の望みや期待などをはるかに超えていて、しかし、個を超えるわたしはいつでもそれを知っている。


そう、本当は知っているのだ。
それを見るか、それとも見ないか。
それだけのこと。


真に腑に落ちるとは時に衝撃的なことであり、しかし同時にそれは静かに納得へと鎮まっていく。そうして死んでは生まれ変わる。


人は生きながらにして死に、新たに生まれる。
さて。


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2015年11月 3日

自らを

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「神は自ら助くる者を助く」とは正に真実だ。


自らを助けようとしない者、自分から逃げる者は、神ですら救えない。なぜなら神は他でもない自分の内にあるからだ。


自分に責任を持たぬ者、他者への心配や自己犠牲などと名目をつけては自分から目を逸らし続ける者は、結果的に際限なく人から奪おうとする。それは、無自覚なだけにより罪深い。(エネルギーヴァンパイアに捕まりそうになったら、とにかく逃げるしかない!それが相手にとっても最善の選択。)


自分で自分を満たすこと、自分で自分を幸せにすること、それは自分を引き受け、自分に責任を負うことだ。自分をいつでも機嫌よく快適にしてあげるだけで、すべては自ずとうまく巡っていくし、自然と周囲や人の役にも立っていく。


何を成さずとも、何かしようとしなくとも、自ら幸せな人、めでたい人、安心な人で在るだけで、全方位すべて善しなのだ。


愛は無尽蔵ではあるが、それを現わす肉体は一つしかなく、この体をして生きる限り、愛も、感情も、時間も、リソースは限られている。それをどこへ注ぐか、どこへ奉げるのかを、自ら責任をもって選択するのは何よりも大切なこと。


まずは自分に。
そうして自らが満たされれば、自ずと愛は溢れ出し、必要なところへ流れていく。


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