文化・芸術

2015年11月 9日

アート、命

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アート(命)はアート(命)を刺激し、揺さぶり、新たなアート(命)を呼び覚ます。人がアートを作るのではなく、アートが人を通って現れるのだ。作品がアートなのではなくて、アート(命)が通り抜ける現れこそがアートであり、そういう意味で、誰しもがアートそのものとして響き、動き、生きている。


アート(命)が通り抜けた後に残される形、つまり作品は、アート(命)の余韻を宿し、その残響を放っている。人がアート作品に触れて揺さぶられるのは、その余韻や残響が触れる者のアート(命)を呼び起こすからだろう。芸術世界だけではなく、日常においてもアートとアートは共振しては揺さぶりあい、呼び起こしあっている。


アート(命)が通り抜けていくのは純粋なる快感であり、官能であり、それは、あらゆる感情を包括する大いなる喜びで、そしてまたそれはエロスの体現でもあるのかもしれない。
響きが通り抜けて生まれるというエロスと、その残響、余韻としての死の形(作品)。そうしてアート(命)は、無数の生死を繰り返している。


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2015年6月11日

「Paixão」「Arena」

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EUフィルムデーズ2015で、ポルトガル映画「Paixão」「Arena」を観た帰り道のこと。


余白だらけのポルトガル映画は、普段無自覚なままに築いている(らしい)思考の枠組みを超えていて、観終えた後には異次元に移動したような不思議な感覚が残る。いつの間にかいくつもの扉を抜けて、気付けばどこでもないところにいる。


それにしても、今日は夕方の光が一段と美しい。
時がほどけ、物理的な感覚がゆらいで、とける。


あの日歩いたリスボンの街の光と影がよみがえる。
しかし、果たしてそれは、あの日の記憶なのだろうか。


此処にいながら其処にもいる。
わたしは何処にいるのだろう。








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2015年6月 8日

6/30(火) フェルナンド・ペソーア「海の詩歌」 @シアターコクーン

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ポルトガル詩人フェルナンド・ペソアの数ある異名の一人、アルヴァロ・デ・カンポスによって書かれた詩『海の詩歌(オード)』を舞台化した作品が、6月30日にシアターコクーンで公演される。


『海の詩歌(オード)』は、夏の朝に波止場でたたずむ男の想像の物語だ。しかし、男の中から溢れ出すイマジネーションは、想像という言葉の範疇を超えて加速し、加熱し、暴走する。


内側に滾る情動のマグマに耐えきれなかった肉の裂け目から、ほとばしるように漏れ出す根源的な欲望と衝動。血なまぐさい描写も多々あれど、それでも言葉が、波が美しいのは、それがまるで入れ子になった夢のような世界だからか。


「読むだけで消耗する」と言われる詩だそうだが、その消耗はおそらくエクスタシーと隣り合わせだ。破壊と変容、狂気と静寂、すべてを感覚することは、全能であると同時に己の死でもあるだろう。


この詩を生身の人間が一人舞台で演じるとなれば、そこにはいったいどんなエネルギーの爆発が起きるのだろうかと、楽しみでしかたない。




Bunkamura シアターコクーンの公式サイトはこちら
『海の詩歌(オード)』


『海の詩歌』Facebookページはこちら
フェルナンド・ペソーア「海の詩歌」









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