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2015年9月の記事

2015年9月29日

living the dream

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説明をするためではなく、固定して止めるためでもなく、ほどくために言葉を語る。あらゆる枠を超えゆく言葉は、ほつれから立ちのぼる夢を描く。ふっと開いた破れ目から、ファンタジーがこぼれ出す。


描きたいのは、放ちたいのは、渡したいのは、夢だ。
官能をふわりと呼び起こし、ほつれを生じさせること。
そうしてイメージを解放すれば、夢は自然に広がっていく。


自在なるファンタジー。
それは、時間を超える至福のひととき。
永遠に繋がる悦びの一瞬。


「魔法、あります。」
「ファンタジー、あります。」


ああ、愉しいね。
美しい夢を創りつづけよう。


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2015年9月28日

カカオが呼び起こす官能

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ちょっぴり久々に、大好きなDOMORIのシングルオリジンチョコレートを買ってきた。


エクアドル産アリーバの小さなタブレットを、まずは一つ。
金色の封を解けば、立ちのぼる華やかな香りに心が躍る。


ほんのひとかけ含むだけで口の中いっぱいに悦びが広がり、舌の付け根や喉の奥にいくつもの白い花が咲く。ふと、アカシアの蜂蜜を思う。穏やかな酸味と優雅な甘さ、長く続く美しい余韻。


ああ、至福。
溶け消えてゆく悦びが、深く、長く、心を満たす。


カカオって、なんて官能的な食べ物だろう。





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2015年9月27日

肉体の時間で生きる

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アタマの時間、思考が計画する時間ではなく、肉体に流れる時間で生きることだ。心とは体のことであり、心の整理は体の整理で、心決まりは体が決まることでもある。体が決まれば心は決まり、そうして現実が決まっていく。


肉体という宇宙に尋ね、安らぎ、その時間に委ねることは、どんなときでも最も自然で無理がない在り方だ。いつだって、肉体の時間に還ってみれば、すべては自ずと流れていく。


たとえば、「もう忘れよう」「いい加減に終わりにしよう」とアタマがどれだけ主張しようとも、体に生じた悲しみや、怒りや、落胆や、痛みや、あらゆる感情をしっかりと感じて味わい尽くすまでは体の整理はつかないし、それでは決して体は決まらず、そして心も決まらない。


何かを手放せない時というのは、本当の感情を受け入れられず、認められず、味わえていないことが多い。肉体の産物である感情は、ありのままに認められ、表現され、味わわれれば、昇華されていく自然のゆらぎ。本当は、どのように感じている(いた)のか?・・・ということに気づくために、時を必要としているのかもしれない。肉体は、それを求めているのかもしれない。


何が誤っていたのか、自分の遣り方が悪かったのか、誰かが間違っていたのか・・・というようなあらゆる思考は、心身の整理をむしろ滞らせる。物事は千変万化、なるべくしてなるようになっているものであり、すべてはただひたすらに体験でしかない。生じる様々な感情というゆらぎを認め、感じて、味わうだけだ。ゆるすとは、そういうことを言うのかもしれない。


肉体に生じたあらゆる感情に気づき、認め、味わうことは、心をほどくことであり、止まった時間をときほぐして、起きた出来事、起こった展開、すべての選択と行動をゆるすことに繋がっている。自分をゆるすとはそういうことであり、それはまた、すべての現実をゆるすことでもある。


どうにも手放せないときや、なぜか心が決まらないときには、肉体の時間に還るといい。体に蓄積されたままの時をほどいてあげることだ。生じたあらゆる感情に気づき、認め、ゆるしてみれば、体はゆるされ、心もゆるされ、自分も現実も全てがゆるされていく。そうしてすべてがほどけたならば、自ずと新たに生まれて、始まっていく。決まっていく。


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2015年9月26日

思わぬところで

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『音は思考を伴った時点で音を超えゆく命を失い、言葉は概念を伴った時点で言葉を超える力を無くす。思考の枠にとらわれず自在に羽ばたく音と、概念をするりと抜け出して自在に広がる言葉は、いずれも新たな空間を生み出し、新しい宇宙を拓いていく。』


ほどくということ、ほどく言葉、ほどける言葉、ほどくための言葉について思っていた頃のメモ。生と死、創造と破壊は同時にある。膨大なむすびが溢れる世界に、ほどけをもたらしてみたいという衝動。



死と蝶そしてエリザベス・キューブラー・ロスについて書いた6年前の記事に、またコメントをいただいた。以前から、この記事には不意のタイミングでコメントやメッセージをいただく。


モノローグのようなブログなので、普段は滅多にコメントなどつかないのだが、こうして忘れた頃に過去が今へと引き寄せられ、物理的な距離を超えて見知らぬ人とひととき繋がることがある。


超えていくことと、超えていること。
いつだって、思わぬところで超えているし、思わぬカタチで超えていく。
おもしろいものだ。



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2015年9月25日

彼岸を過ぎて

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曼珠沙華が景色に鮮やかな色を添え、金木犀の甘い香りが空気を染めていく。季節のうつろい、命のうつろいは、意図を超えて混沌をかき混ぜては、新たな創造への衝動を呼び起こす。


揺さぶられては、混ぜられ、促されて、目的や理由などないままに何事かを生み出していく。形を得た何事かは源を離れ、響きあっては形を変えて、変容の果てに還っていく。


生きているとは、多分そういうことだ。


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2015年9月23日

ハレとケと

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「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし。」


人とは、あらゆる生命を代表して、下と上とをつなぐために存在しているのではないかと思うことがある。物質と精神とをつなぐものとして。あの世とこの世の橋渡しをするものとして。天と地とを行き来するものとして。

祈ること。
祝うこと。
祓うこと。
弔うこと。
むすぶこと、ほどくこと。



祖母の告別式も完了して一段落。喪主である母とともに走り回った二日間だった。葬儀社の方々のプロフェッショナルな仕事ぶりに心を洗われ、若き湯灌師さんたちの美しい動きに目を見張り、久々に聴く僧侶の読経の中で変性意識状態を体験し、普段はなかなか接することのない人々と言葉を交わし・・・とても静かなのに賑やかで、穏やかながらも不思議な時間だった。


不謹慎な表現かもしれないが、葬儀って・・・面白い。


10年程前に、葬儀関連職への転職を考えたことがある。結局、当時の生活事情にフィットする職場が見つからなくて、異なる職に就いてしまったけれど。久々に葬儀に関わる方々の仕事に間近に触れてみると、やっぱりそこには惹かれるものがあった。


わたしは、そもそも儀式が好きだ。
そして、生死のあわいへの興味は尽きることがない。


だから、葬儀にも惹かれて当然だろうし、また、わたしという個性はなぜかそういう場にしっくりくる面が多いようにも思う。うまくいえないが、居心地がいいのだ。そしてまた、そういう世界ではなぜか自然と求められることが多い。


これまで多様な職に就いてきたが、改めて振り返ると、いわゆる「ハレ」と「ケ」でいう「ハレ」に分類されるであろう仕事が多かった。わたしという個性は、どちらかといえば「ハレ」に携わる方が活かされるのかもしれない。


この世とあの世のあわい。
あなたとわたしの融点。
夢と現の間。
束の間の非日常。


葬儀に携わる方々との接触の中で、儀式というものの非日常性と、それがもたらす意識変化を改めて思いながら、これからどんな仕事をしていこうかと考えていた。そして、今取り組んでいる物事、関わろうとしている世界、携わろうとしていることは、やっぱり「ハレ」の世界での仕事だと確認する。


葬儀関連のお仕事にも、やっぱり興味はあるが・・・いずれにしても、非日常的時空間、「ハレ」の世界での仕事というのが、自らを活かす鍵であることを覚えておこう。


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2015年9月22日

あなたという音に

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あなたという存在の、その奥に流れる音なき音は、意識と呼ばれる何かなのか、それとも魂と呼ばれる何かかはわからないが、そんなことはどうでもよくて、その音なき音、その静かな静かな見えない美に、じっと耳を澄ませ、それをどうにか感じようとすることが好きだ。


人は肉体を離れた後、より一層その「音なき音」を自在に響かせる。肉体という器の移ろいによって様々に色づけられる「あなたという音」に耳を澄ませることと同じくらいに、肉体を離れてただただ純粋なる「音なき音」として響き続ける、あなたを超えるあなたを感じようと耳を澄ませることも、好きだ。


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2015年9月21日

transcendence

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ひとときの形を得て、やがて形を超えることで、生は無限に変容し、死というプロセスの果てに永遠へと還る。


死の匂いなき生などありえず、いずれも等しく祝福され得る何かであるということを、言葉にすることの難しさと、言葉を超えて共振しあえるという安堵。


生のみという世界もなければ、死だけという世界もなく、物質、精神、あらゆるレベルで、生と死とはいつも同時にある。それらはひとつのことだということ。


霊的に生きるということ。
生きながらに死ぬということ。
今此処を全力で生きて死に、そうして永遠を生きること。



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2015年9月20日

邂逅

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わたしがわたしへ還るほど、わたしという響きはより明瞭に聞こえぬ音を響かせて、世界と響きあっていく。あなたがあなたへ還るほど、あなたという響きはより豊潤に聞こえぬ音を響かせて、世界と響きあっていく。


わたしはわたしに、あなたはあなたに、ただ安らいで、喜びを生きるだけのこと。


体に在り、体に安らぎ、体を楽しんで生きながら、肉体を遥かに超える意識を同時に生きること。無限の意識と変幻自在なる精神を、肉体という奇跡を通して生きること。


いずれにしても、感謝のもとに喜ぶだけのこと。


耳を澄ませ、意識を傾けるべきはいつだって外側ではなく内側で、そこに聞こえる音と声とがいつでもわたし(あなた)を導いてくれる。正直に、素直に、純粋に、 わたし(あなた)であることの安らぎと喜び。


そうして映し出される無数の現実という奇跡と、その豊かさ。


まるで起動共鳴する惑星同士のような君との、いつもながらの不思議な交差の中で、そんなことをまた確認した。そう、いつだって喜びのうちに美への憧れを響かせるだけだ。


ありがとう。



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天のはからい

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人と人とは、時空を超えて繋がっている。


魂はいつでも物理的な隔たりを超え、形を超えて交わり、融けあい、響きあっている。この三次元世界での邂逅は、そのうちのほんの一部であり、関係、役割、性別、老若、あらゆる現世的な事と理もまた、ひとときの短編のようなもの。


地上の事情というのはみな、天の善きはからいなのだろう。


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2015年9月17日

無題

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壊れては生まれ、生まれては壊れ。
くりかえし、くりかえし、無数の転生。


創造の喜びと、破壊の悦び。
抗わずに壊され、手放しでゼロに還るのは快感でもあるはずだ。


光の喜びとおなじほどに、闇の内にこそある安堵。


混沌の中に孕まれるかたちなきもの。
最も深い闇の奥から光の矢は放たれる。


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ふと呟く

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「さようなら。」
ふと呟く言葉。


宛もなく、理由もなく、ときどきふと呟いている。


「さようなら。」
「さようなら。」



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2015年9月16日

香りという魔法

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グラースのフラゴナール香水博物館を訪れた友人から、素晴らしい報告とメッセージが届く。「香水の歴史とともに発展した香炉や瓶が震えるほど美しく、あなたが香りに辿り着くのもわかるよ」と。それは、あらゆるものの美を喚起するものであり、また、香水瓶というのは美と技術との結婚ではないかと。


そう、香水というものは、香りそのものには勿論のこと、それがおさめられる香水瓶にも、そこにつけられる名前にも、あらゆる背景に美しい物語がある複合的な作品であり、調香師やデザイナーをはじめ、その美に共鳴する力の集約によって生み出される夢の結晶だ。だからこそ、それは魔法となる。


ファッションデザイナーが必ず香水を創る理由は、そこなのだと思う。自らが生み出すクチュールやモードに最後の仕上げを加えるのが香りという魔法なのだ。だからこそ、香水にはデザイナーの美学が最も色濃く込められ、その美に共鳴する技術と知恵とが集まって、香水という作品が創り出される。


香りというものはそれぞれ確かに美しいのに、いずれも形が無いもので、時とともに揺らいでは、美しいままに消えていく。香水瓶という美しい器おさめられた香しい水は、触れる者の官能を呼び起こし、あらゆる者の内に喜びを喚起させてはやがて儚く霧散する。それは、まさにファンタジーだ。


先日の香水鑑賞会で改めて感じたのは、名香はやはり香りの完成度が特別に高いということ。バランスとエネルギーのレベルの高さ、そして、伴う品格。繊細にして大胆であり、ただ整っているだけではなく、はっきりとした個性を放ちながらも美しく調和し、どこまでも豊かな奥行を有している。


どういうものを生み出したいか。積み重ねられた歴史をどのように受け止め、その長い系譜の中で、何を受け取り、何を敬い、何に憧れて、何を創り出したいのか。そういう点では、香りも、音楽も、絵も、写真も、言葉も、共通している気がする。そこにあるのは、感性と美学、そして修練によって裏打ちされた美への希求だろう。


そんなことをつらつらと思いながら、今日もまたBill Evansの音の色彩に耳を傾けていた。




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2015年9月14日

還ること、ゼロになること

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6月あたりから、仕事を休んで引きこもる日が増えた。社会に、つまりは外側に適応しようとして重ねてきた無自覚な無理がほどけてしまい、以前と同じようには行動できなくなった。


麻痺させていたさまざまな感覚が蘇り、苦痛を苦痛と感じられるようになったら、いかに自分を蔑ろにしてきたかを思い知らされた。日々、日常の中での些細な抑圧の積み重ねが、いかに自分を殺していくかということを痛感した。


振り返ってみると、社会的な居場所を求めるがあまり、気づかぬうちに「何かを目指す」生き方をしていたように思う。そうして、たくさんの「~でなければ」という無意識の思いこみに囚われて、焦り続けていた。


しかし、それは結局のところ、今の自分への否定でしかなくて、今ここの自分に足りないものばかりを探し出す生き方だった。そして、いつまでも「何か」にはなれないまま、何かに追われるばかりだった。


そんなパターンに陥っていることに自分でも気づかぬほど、すっかり自分のものではない価値観に乗っ取られていたとも言える。「外側(社会)に適応しなければ生き延びていけない」という根拠のない不安がそうさせていたということが、今になればよくわかる。


自分に還るということは、アタマで理解できることではないのだ。


ほんとうに大切なものは、いつだって自分の内側にある。それは、外側から教えられたり与えられたりするものではないし、ましてや金で買えるものでもない。自分で自分の「大切」を抑圧して、蔑ろにし続けるという生き方が限界に達して、すべてがほどけた。そうしたら、ゼロに還るしかなかった。そうして、長年の疲弊と悲しみが一気に溢れ出した。


自分の大切を守れるのはいつだって自分自身だ。自分の美意識、自分の中の「美しい」という感覚と価値観を守ることこそが、自分を守ることであり、自分を愛し、自分に根ざして、自分を生きていくことの源だということを、昨日の出逢いは改めて教えてくれた。自分を純粋に生きることこそが幸せの根源だ。


高校生の頃によく聴いていた音楽をきっかけに、あの頃に描いていた夢の色彩や感覚がよみがえり、今日は久々に泣いた。


美しい音楽、絵画、写真、文学、詩、神話、香り、美し宝石、クチュール、そして、美しい人・・・美しいファンタジーが好きだった。いつも一人で美しい夢を見ていた。


大切なものは、何も変わっていない。





これまでに最も多く聴いただろう一枚。
いつでも新しい驚きを与えてくれる美しい音。
彼の「音」と「色」にいつまでも惹かれてやまない。




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2015年9月13日

香りと宝石、美しいもの

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本日は、ずっと気になっていた香水メゾンのフレグランス鑑賞会へ。生まれて初めて足を踏み入れる調香スタジオでは、アトリエのオルガン台にずらりと並んだ香料瓶を眺めているだけで幸せな心地に。


Yves Saint Laurent "Opium"、ODIN New York "03 Century"、Atelier Cologne "Ambre Nue"、Robert Piget "Fracas"、Parfum Satori "Black Peony"、Serge Lutens "Feminite du Bois"、Frederic Malle "Lys Mediterranee"・・・

また、アンブロクサン(マッコウクジラの腸内にできる結石から採れるアンバーグリスを再現した香料)、チュベローズ、バーチ、タジェット等の香料まで、イメージしていたとおりの美しい調香師さんから様々なお話をうかがいつつ、たくさんの香りを試香させていただいた。


そして、鑑賞会の後にはなんと、ショールーム内のジュエリー工房(!)で、専門家の方からお話までうかがえることに。見せていただいた質の高いダイヤモンドの輝きは、うっとりとして言葉を失うほど。大きなイエローダイヤの美しさといったら・・・!


香水と調香、そしてジュエリーとダイヤモンド。
理由もなく魅せられ、惹かれて、追いかけてきたものたちに、同時に出逢えた不思議な一日。



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見る、聴く、感じる、震える

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人を見ることは、耳を澄まして音を聴くことに似ている。


その存在が奏でる音なき音に耳を傾け、うつろうように変化する見えない色彩を感じ取る。静かに、静かに、目の前の人の波動に意識の耳を傾けることは、同時に、黙して自らの内なる音に耳を澄ませることでもある。


そうして、波と波は共振していく。


体に表れるさまざまなサイン、動作や声に表れる内側の状態だけでなく、存在は、目には見えないカタチで、耳には聞こえない音で、たくさんのことを表現している。それはおそらく波動や気と呼ばれるような何かで、まるで天気図のようにうつろい続ける。


エネルギーの現れとしての存在。
無限の変化を見せる虹。



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2015年9月12日

わたしへ還る、世界に安らぐ

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「この世界に無数にただよう誰かの思考や他人の感情に、乗っ取られることのないように。」というようなことをぼんやりと思っていたここ数日。


その感情は、その思考は、本当にわたし(あなた)のものか?ということ。外側への容易い同調ではなくて、自らの肉体から、自分の内側から聴こえてくる声に正直であること。純粋なる自分自身へいつも還りつづけること。


静けさが心地いいのは、肉体が発するさまざまな声が聞き取りやすいからかもしれない。内側から聴こえる声は、それはそれはささやかでかすかなものだから。静かに、静かに、内へと鎮まり、肉体に快適に安らぐほど、わたしは深く満たされて、そしてわたしを取り囲む世界もまた安らぎと快適に満たされていく。


響きあうとは、きっとそういうこと。


共鳴も、共振も、わたし(あなた)がただひたすらにわたし(あなた)であることによって、自ずと起きていくものだ。


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2015年9月 9日

渡すもの

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カタチが得られず留まるしかないエネルギー、漂うしかないカタチなき何事かに、カタチを与えることで昇華の機会を与える。祈りとはそういうことを言うのではないか。


音楽、芸術、あらゆるカタチ、言葉だってそうだろう。


人は、祈るためにこそ知性を与えられたのかもしれないと思う。
物質世界と非物質的世界との架け橋として。


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2015年9月 8日

響きあう、映しあう

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世界がわたしをくまなく映し出すように、わたしも世界を映すことができる。わたしの意識が世界を創り、世界を映してわたしが創られる。


喜びを通して世界に語りかければ、世界はより豊かな喜びを映し返してくれる。わたしが世界の美しさを映せば、わたしの内からも美しさが溢れだしていく。


そうして、世界とわたしとはいつも響きあっている。


さて、何を映して遊ぶ?


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2015年9月 7日

美は醜をも呑みこんで

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音も、色も、味も、香りも、無難にわかりやすく平均的にキレイなだけでは、深みもなければ驚きもなくて、ワクワクもドキドキもできやしない。


人だって同じだ。


美しいとはただ整っていることではなく、あらゆるアンバランスを呑みこんでなお輝く生の力であり、それは、闇を従わせて煌めく光のようなもの。



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2015年9月 6日

美もまたわかちあわれるもの

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花々や音楽や芸術がそうであるように、人の美しさもその人のものではなく、特定の誰かや何かのためでもなく、広く豊かに世界に共有され、贈与によって循環されるギフトなのだろう。内なる美、そして、それが現れた形としての美、いずれも所有を超える共有財産ではないかと思う。


美しい花々や、美しい音楽、美しい芸術がそうであるように、あなたが美しいということは、あなたの姿形が美しいということだけではなく、あなたという存在を通して立ち現れる形を超えるエネルギー、あなたを通って世に注がれる天の恵みが美しいということだ。


美は形ではなく、そこに宿る伊吹のようなもの。


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命が喜ぶことを

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意識を向けるだけで嬉しくなること。
思い描くだけでワクワクすること。
それが、命が喜ぶほんとうのこと。


命が喜ぶことをするのは、魂が真に喜ぶこと。
命が喜ぶことをするのは、世界が、宇宙が喜ぶこと。
それはまた、真に自分であるということ。


それは、命の祝福。真の奉仕。


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2015年9月 5日

快適のカタチ

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現実として立ち現れるカタチ、在り様、様相、展開、どのようになるのか、どうであるかは、アタマで考えても仕方のないことで。その時々の純粋と正直を、ただ素直に手放して、表わし、注いで、奉げたら、あとのことは宇宙にお任せするのがいい。


放てば、響いて、相応しいカタチが用意される。
そうしてまた、その時、その時を、素直に表わすだけのこと。



いつでも美しいエネルギーで在りたいだけだ。
快適で、心地よく、美しいバイブレーション。
透きとおる音、きらめく色。


いつでも美しい波動で在るために、瞬間ごとの選択を重ねる。素直に表わし、手放しで宇宙に委ねていれば、エネルギーは軽やかで、透過度が高く、ワクワク、きらきら、活き活きとして、瞬間を生きては自然に還っていく。


美しいのがいい。
静かなのがいい。
美しくしているのがいい。
静かにしているのがいい。
内側が、静かで美しいのがいい。
静かで美しいエネルギーがいい。


静寂と美。
快適なもの。快適なこと。



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2015年9月 3日

調和とは

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調和とは、同じ状態の持続ではなく、
とどまることなく変化しつづける瞬間すべてに宿る祝福。



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2015年9月 2日

ほとけさまとおかげさま

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地下鉄のシートに置かれた紐状の何かにふと目が留まった。よく見たらそれは、座ろうとした空席の隣に座る人の尻ポケットから落ちそうになっている数珠だった。


驚くほど大きな黒い珠の連なりに、長く編まれた鮮やかな黄色の紐。「落ちそうですよ。」とお伝えしたら、ハッと携帯電話から目を上げて慌てておられた。


数珠の持ち主は、大黒さんのようなまあるい顔の初老の男性で、「いやあ、あなたは仏様だね。きっと、いいことがありますよ。」と、福々とした笑顔で言ってくださった。


そして、「『先生はお優しいですね』なんて女性から言われたもんだから、つい夢中になってメールの返事を書いちゃって。男ってのはダメだねぇ~。でも、女性から褒めてもらうと、よし!ってなっちゃうんだよねぇ。」と。


なんとも朗らかな波長の方との、なんとも愉快な今朝の出来事。



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2015年9月 1日

美への賞賛

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自らの美しさを素直に認め、まるごと受け入れるということは、「わたしは美しい」と言い聞かせたり、他に勝るどこかを見つけだすことではなく、「わたし」に映し出される無数の美、「わたし」を通してやってくる無限の美を、惜しみなく賞賛し、喜んで感謝すること。


それは天への讃美と同じこと。


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