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2015年7月の記事

2015年7月31日

ODARA

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この形以外は受け取りたくない、この方法でしか受け取れない、この人からしか受け取りたくない・・・という思い込みが、受け取れる豊かさを制限しているだけのこと。全方位に開いてみれば、あらゆるところから、あらゆる方法で、いつでもふんだんに与えられている。機会も、お金も、出逢いも、愛も。


獲得しなくとも、所有しなくとも、ありとあらゆる制限を超えて、すべては豊かにめぐっている。すべての形はエネルギーの現われで、そして、エネルギーは無限の豊かさで循環している。


獲得しようとがんばらなくても、相応しいものはやってくる。たとえば、それを得るにはお金が必要という思い込みが、受け取る扉を狭めているのかもしれない。たとえば、足りないという思い込みが、エネルギーの注ぎ先を惑わせているのかもしれない。


本当に望むものは、いつでも惜しみなく与えられる。




"Qualquer coisa que se sonhara
Canto e danço que dara"

そう、ほんとうに。
歌い、踊り、喜べば、夢見るものは手に入る。
あらゆるものが美しい宝石になるように。
そうすれば、天使も悪魔も味方して、すべてを運んできてくれる。




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2015年7月30日

prière de l'ange

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時を信頼し、時に委ね、時を楽しむということは、自ら(世界)に安らぎ、自ら(世界)を頼り、自ら(世界)をゆるすことであり、それはまた、今に在り、今を生きて、今と同一であるということ。



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2015年7月29日

この世のすべては

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あなたが好きな美しい花。
あなたが好きな美しい音。
あなたが好きな美しい空。


あなたが好きな美しい色。
あなたが好きな美しい海。
あなたが好きな美しい時。


あなたが好きな美しい月。
あなたが好きな美しい人。
あなたが好きな美しい夢。


あなたに相応しいからこそ、あなたはそれに巡りあう。
そして、それらすべてと同等に、あなた自身も美しい。


この世のすべての存在は、奇跡という名の美しい宝石。
この世のすべての現象は、幻という名の美しきうつろい。



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2015年7月28日

美しい夢

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『現実でありたくないんだ。幻のように現れて消えたい。』というカール・ラガーフェルドの言葉が不意に飛び込んできた昨夜。「夢ばかり見て・・・」と非難した母の姿は、わたしの内側の抑圧だったのだと改めて気づく。


夢を見て、夢を生きて、夢でありたいという正直な思い。
だって、美しい幻ほど魅力的なものはない。


美しいものを探し、美しいものを見て、美しいものを喜び、美しいものを愛し、美しいものを創り、美しいものと共に、美しい夢を描き、美しい幻を生きる。美はいつでも発見され、見いだされ、生み出されるのを待っている。実のところ、世界はすべて特別な宝石のように美しいもので出来ている。







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2015年7月27日

ほんとうはいつでも

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何かが無いから幸せでないのではなく、何かがあるから楽しめないのでもなく、楽しむことを敢えてゆるさないために何かを持ち出したり、敢えて幸せにならないために何かをこじつけたり。


何が無くても、何があっても、今この瞬間を楽しめる、今すぐに笑って喜べる、ありのままに安心して、いつでも自ら幸せであれる、そんな自分を誰もがほんとうは知っている。



今日もまた、たくさんの美しいものを見つけていこう。
世界の中に、あなたの中に、わたしの中に。


美しいものは、いつでも発見されるのを待っている。
世界のどこかで、あなたのどこかで、わたしのどこかで。



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2015年7月22日

誰しもの内にいる小さな女神のこと

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寂しさのあまり俯いて泣くこともできずにいる内側の少女に、あなた自身が声をかけ、もう一人じゃないよと語りかけ、後回しにしていてごめんねと抱きしめ、しっかりと手を繋いであげること。そうして彼女の正直な声や素直な願いを受け入れ、それを実現してあげること。
彼女は実は、誰しもの内に存在している女神だ。


外へ求めては渇き続ける寂しさも、満たされなさも、承認や許可や肯定への渇望も、内側の少女があなたに向けて放ち続ける声であり、あなたに訴え続ける願いだ。あなたと彼女が手を繋ぎ、彼女をゆるして受け入れ、彼女にたっぷりと喜びを与え、彼女を解放するだけで、あなたの内なる女神は開花して外へと溢れだしていく。


小さな女の子は、女性の内側にだけでなく、男性の内側にも存在している。そして、後回しにされ、無視されてきた女の子は、やっぱり寂しさのあまり小さくなっていたり、すっかり拗ねていたりする。


男性自身がその内側にいる女の子を優しく抱きしめ、しっかりと手を繋げたなら、彼女は望み通りの現実を生み出す力を惜しみなく発揮してくれる。





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2015年7月21日

あなたとあなた自身との関係

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他者との間に生じる不快な感情や感覚、それらに伴う葛藤は、そのまま自分と自分との間に起きているズレを映している。「頭では分かっているのに」という言葉から、「頭でわかっているからこそ厄介なんだよね」という話に。そう、頭が体を置いてきぼりにしていると、体は「もっと私に構って!」というサインを送り、時には叫びをあげたりもする。


頭が体を置いてきぼりで、体が「もっと構って!」と訴えると、予期せぬ言葉が飛び出したり、思わぬ欲求が溢れ出したりすることがある。普段なら「いやいや」と思考で抑えてしまうような願望が、いきなりポンと表に出てしまったり。肚の声は体の訴え。体の声は自分の本音。


体から飛び出した本音を拾い上げ、体に素直に耳を傾けることで、体との対話は少しずつ取り戻されていく。そうして、すっかり体を置いてきぼりにしていた頭が体に還ってくる。頭と体、自分と自分。それらがしっかり手を繋いでいることが、あらゆる具現化の源であり、あらゆる循環を快適にする最大の鍵だ。



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2015年7月17日

カタチにしては、カタチを超える

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あらゆるカタチはひとときのものであり、いつでもエネルギーは変化し続け、次へ、次へと生きている。波は絶え間なく次々とおとずれ、カタチに留まろうとして強張っていも、どんどん後からやってきて、流れ、あふれ、運ばれていく。


ひとときのカタチとして全うに死んでは、同時に次を生きている。


カタチにするのが得意なのも、カタチをつくるのが好きなのも個性と才能ならば、カタチにとらわれないのが好きなのも、カタチになれないのが得意なのもまた個性と才能であり、それぞれのバランスがあって、そうして宇宙はいつもバランスされている。


いずれも、そのままでいいし、そのままがいいということだ。


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2015年7月16日

たくさん考えて頑張ったあとは

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考えても答えは出ないし、その経験に直面してみないことにはどのようになるかもわからない・・・というのがほんとうのところだ。どんなときでも、その時々のフィーリングがすべてを導いてくれる。体の内に沸き起こる感覚、感情がすべての指針だ。


実際のところは、考えるほどに頑なになり、考えるほどに絡まっていく。そこから少し離れてみて、ほっとゆるんでほどければ、すべてうまくいっている。そうして安心に還ってみれば、そこから新たに拓けていく。


ほんとうは、頑張る必要もなく、耐える必要もなく、素直に還り、正直に還るのがいい。いつだってフィーリングは正直で、そして、正直こそが次の扉をよりスムースに開いてくれる。


とことんまで考えて、疲れ果てるまで頑張ったなら、あとのことは天に任せて、すべて忘れて休んでみよう。ゆっくり、たっぷり眠るのもいい。


そうして、ゆるんで安らげば、答えは自ずと見えてくる。
ほどけたところから沸き起こるフィーリングが、最適な快適を教えてくれる。
いつも、いつでも、どんなことでも。



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2015年7月15日

御茶ノ水へ

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ポルトガル語辞書を求めて御茶ノ水へ。
以前に勤めていたこともあるこの界隈の雰囲気は、いつ訪れても居心地がいい。


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ニコライ堂の名で知られる東京復活大聖堂教会の門がまだ開いていたので、久々に中へ入ってみた。静かにたたずむ白い聖堂を、沈みゆく陽光が照らし、眩い反射がステンドグラスに描かれた聖人を浮かび上がらせる。風が強い日の夕暮れは空が一段とドラマティックで、八端十字架が掲げられた緑の屋根越しに仰ぐ光の変化に魅せられる。


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風に揺れる木々の音に包まれ、しばし美しい静寂の時を過ごさせてもらった。


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2015年7月14日

好きな場所

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急遽予定がキャンセルになったので、夕陽を眺めてぶらぶら散歩。
有楽町を通り抜けて、日比谷通りを和田倉門まで。

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車通りは多いけれど、このあたりはいつも不思議と静かな波長に満ちている。


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東京に暮らし始めてもうすぐ8年。
居心地の良さを感じる好きな場所も少しずつ増えてきた。

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日比谷から二重橋、丸の内にかけては、好きなエリアの一つ。


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2015年7月 9日

like dancing

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生きることはダンスに似ているとよく思う。それぞれの人が、それぞれの個性で、それぞれの今を踊っている。ステップを踏んで世界に向かい、現われた世界を受けとめて、ダンスはどんどん展開していく。


リズムも変われば、テンポも変わるし、相手も、場面も、背景も、流れるように変化していく。だけど、無理に合わせる必要はない。途中で休んだっていいし、いつでもワンステップで変えることだってできるのだ。


いつだって、今の自分を踊ればいい。最大限に、楽しんで、自分と、世界と、踊ればいい。それぞれがそれぞれをダンスして、そうして宇宙が躍っている。無限に広がる終わることのない大演舞踏。



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2015年7月 8日

いつもいつでもそのままのあなたが

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急遽ご依頼くださった遠方の方とSkypeを用いたセッションをさせていただいた。対面ではないセッションは本当に久々で(実はしばらく休止していた)、準備不足でオタオタした上、当初の予定とは異なる形になってしまったけれど、求めていただいたことで、気づけることが沢山あった。


お話をうかがっていつも感じるのは、皆さん本当に真面目で、真摯で、懸命だということだ。ご自身にたくさんの課題を課し、多くのルールを与えて、それらをすべて引き受け、収まるように、沿えるようにと、懸命に生きておられる。多くのことを一人で背負い、弱音も吐かず、間違わなぬようにとご自身を厳しく律して、正しく生きようとしておられる。


そんな健気なご自分を、共にゆるしてほぐしていくことがセッションの最大の目的かもしれない。正しくなくても、間違えても、はみだしても、こぼれても、やらかしても、壊れたとしても、全部大丈夫だし、いいじゃない・・・と。
どんな方とのセッションでも、どんな対話においても、結局のところ、わたしがしていることはといえば、お話をまるごと伺いながら、ありのままのその方を感じて、「そのままでいいし、そのままのあなたが素晴らしくて、そのままのあなたでいてくださることが一番で、そのままのあなたが好きです」と、さまざまな形で伝えることだけのような気がする。


人とお会いするたびに、わたしはこんなにもあなたが、そして世界が好きなのだと思い知り、それはつまりは自分のことがそんなにも好きだということでもあるけれど、そういえば小さな頃から、老若男女どんな相手とでも、一対一でお話しすると、その時間は目の前のその人のことが100%になる自分がいたことを思い出す。


過去のどんな仕事を振り返っても、言葉を用いるにせよ、言葉以外の方法にせよ、わたしがしていたこと、したかったことはといえば、いつでも、その時々のありのままの相手とのダイアローグだ。


誰もがみな美しい色彩で、それぞれの人がまるで貴重な鉱石や植物のようで、そのエネルギーを感じることは本当に嬉しくて、だから、ただただそれを伝えたい。それは、あなたの素晴らしさ、あなたの美しさ、あなたというこの上ない価値を、あなたに届け、あなたに受け容れてもらいたいということかもしれない。


内と外とか、あなたとわたしとか、形としての境界を超えて響きあい、共振して、静かな受容と肯定のうちに溶けるようにほどけていく。いつだって、あなたはわたしで、わたしはあなたで、あなたの言葉はわたしの言葉で、わたしの言葉はあなたの言葉で。そうして共に大丈夫という安心に還っていく。言葉と言葉で共鳴し、言葉を超えて共振しながら、ともに寿ぎ、喜んでいく。


遠方の方のためのネット上でのセッションを再開するだけでなく、どこかに場所を設けたいとようやく本気で思い立った。ゆったりとくつろいで安心して対話ができる、快適で、居心地のいい、美しいスペース。まずは、その前に、どこかで定期的にスペースを借りてセッションをしていこう。


わたし自身もこれまで長い間、すべてを一人で抱え、苦手も弱点も引き受けなければと思いこみ、なんとか形にしようともがきつつも、結局はフリーズしていたようだ。これからは、苦手も不得手も素直に認め、できないことは人を頼り、助けてもらいまがら、手放しながら、思い描く理想を形にしていこう。


これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


世界を、あなたを、愛しています。
LOVE♡


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2015年7月 7日

呼応し、共振し、共鳴している

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何がほんとうに欲しいのか、どんな状態を望むのか。それを外に求めて探す前に、自ら、内から、発してみれば、自ずとそれはめぐりめぐって仲間を連れて還ってくる。


言葉も、思いも、モノも、コトも、機会も、場所も、お金も、人も、あらゆるすべてはエネルギー。呼吸するように呼応して、響きあってめぐっている。



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放つもので創られていく

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発する言葉によって人が創られていくように、発するエネルギーによって現実は創られていく。外側のすべては内側の反映であるならば、それは当然のことで、外へと出せば出すほどに、エネルギーは反映されて現実となり、そうして創り出された現実に囲まれて、自分自身もまたそのとおりに創られていく。


発する言葉は、自らを縛る呪詛にもなれば、自らをゆるし、寿ぐ祝詞にもなる。発した言葉が反映されて、自らを取り囲む現実になる。放ったエネルギーがめぐりめぐって増幅して還ってくるという循環は、言葉においても同じこと。マザー・テレサが「言葉に気をつけなさい」と言ったのは、そういうことなのだろう。


お金を流すこともまたエネルギーの発し方の一つであり、どのようなことにお金を使うか、どんな風に、どんな気分や感情をもって使うかということが、反映されて現実が創られ、そのエネルギーがめぐりめぐって自らのもとへ還ってくる。そうしてまた自らが創られていく。お金の使い方もまた自己表現であり、創造なのだ。


「お金は、儲けるために夢中になるものではなく、使うためにこそ夢中になるべき。」というココ・シャネルの言葉を思い出し、改めて実感する。どんな風にして、どのようなものに、どんな気分や感情をのせてエネルギー(お金)を注ぐかということが、そのまま反映されて現実となり、そのままに自分が創られていく。



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2015年7月 5日

安心さんで

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対面、チャット、いずれにおいても、お客様からだけでなく友人からも、ひととおり対話が終わった後に「なんだか、ほっとして眠くなった」と言われたり、「あの日はよく眠れた」と報告をいただいたりすることが多い。


そういえば、以前から人を眠りに誘導するのは得意かもしれない。うちを訪れた人は、なぜか眠くなるという。といっても、特別に何かをするわけではないのだけれど。意図的にゆるめようとも、ほどこうともしてはいないのだが、自然とゆるんでほどけるようで、それが安心によるものならば、わたしとしてもありがたい。


そういえば、今日もまた「眠りを誘う波長を出してますか?」と言われた。久々に再会した友人と一緒に来てくれた1歳4ヶ月の女の子は、普段は外で寝ることはほとんどないらしい。しかし今日は、出会ってすぐにくっついてくれて、言葉を超えるお話しと交流の後、彼女はぐっすり眠ってしまった。かわいかったなあ。


「ほどき屋さん」とか「浄化屋さん」とか「安眠屋さん」とか、できるかしら・・・なんて。


ほっとほどけて、ぐっすり眠れば、目覚めればまた新たに生まれている。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。いつも天使は共にいるから。



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2015年7月 3日

加速していくかのように

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満月の直前、珍しくオカルト系の悪夢を見て夜中に目が覚めることが続いた。夏至以降、肉体も意識もますます激しいほどに浄化が進んでいるが、その一環なのだろろうか。


そして満月を過ぎ、気づけばまた更にいくつものことが「どうでもいい」状態になっている。あらゆることの通過の速度がますます速まっている感じ・・・といえばいいだろうか。留まることができないのだ。というよりも、あらゆる思いが形として固定する前に生まれては霧散して流れていくので、留まりようがない。


とても軽いのに、安定している。
端的にいえば、まあ、快適ということだ。



味わい尽くせば溶け消えていくし、やり切ったなら終わっていく。否定するではなく、押し殺すでもなく、そして、無理に片づけて終わらせるでもなく、やってくるままに体験し、もがきながらも抗わずに通過していく。すべては経過の中に流れる風景のようなもので、自然と変化し、やってきては去っていく。


加速感とでもいうのか、移行している感覚をこんなにもはっきりと覚えるのは初めてかもしれない。どんどん軽くなっていくようありながら、同時にますます静かに安心していく。制約、制限、さまざまな枠が霧散していき、すべてがどうでもよく、すべてそれでよしになっていく。


終わりを終わらせるにはそれなりのプロセスを必要とすることも多く、時にはそこに苦しむものではあるけれど、すべての過程を受け入れ、ゆるし、味わい、やり尽くせば、おのずと終わりは終わっていくし、そもそも終わりも始まりもなく、あらゆることが車窓の風景のように移り変わって流れていくだけだ。


どんなことにでも安心して羽ばたけばいいし、どんなときにも安心して進めばいいのと同じように、どんなことにでも安心して立ち止まっていいし、どんなときにも安心して躊躇していい。安心して未練し、執着し、嘆き、惑い、ぐるぐると堂々巡りをして、それもまたやり尽くしたなら、「あら?」という具合にほどけていく。いつでも安心していればいいということ。


苦しいと、つい外に助けを求め、外を変えようともがいてしまうものだが、そういうときにこそ内に向いてあげるといい。安心してすべてを感じていいし、味わっていいんだよと内に向かってゆるしてみれば、安心してほどけていくし、ほどけた感情は流れていく。


自分を愛するとは、そういうことだ。



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2015年7月 1日

循環について

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得るための方法にあれこれ思考をめぐらせるより、どのように流すか、与えるかということにフォーカスする方が、めぐりはスムースに広がっていく。そこにどんなエネルギーを載せて流すか、どんな感情、どんな思い、どのような色をめぐらせるか。それが、めぐりめぐって(増幅して)還ってくる。


お金のめぐりを眺めてみると、わかりやすいかもしれない。流したお金が、別のお金として還ってくることもあれば、別の物質として還ってくることもあるし、行為や感情、思いなど、形を超えるエネルギーとして還ってくることもある。誰かに、何かに、世界に、宇宙に放ったエネルギーが、めぐりめぐって(共鳴して、増幅して)還ってくる。


流してばかりで入ってこないと感じるときには、今、外側から還ってきている(ように見える、思える)ことにちょっと意識的になってみるといい。還ってくるもの、与えられるものが「これじゃないのになあ」と思っても、とにかく「ありがとう」と受け取ってみると、受け取りの扉は広がっていく。もちろん、受け取りたくないものは拒否してもOKなのだが、絶対的に嫌なものでなければ、ひとまず受け取ってみる方がいいように思う。


入ってこないと感じるとき、実は無意識に受け取りを拒否していることが案外と多い。「これでなきゃ」という思い込みの枠が、本当は還ってきているエネルギーに気付けなくさせていたりする。お金がお金で還ってくるだけでなく、行為が行為で還ってくるだけではない。エネルギーは様々な形でめぐっている。


入ってくるもの、還ってくるもの、与えられるものに意識的になることで、受け取りの扉は変化する。望みどおりの形でなくとも、「ちょっと違うな」と感じても、とにかくすべてを喜んで受け取ってみれば、還ってくるものも変化していくし、どんどん多様になっていく。


何にしても、流したもの、与えたもの、放ったものが、めぐりめぐって還ってくることに変わりはなく、そして、放ったエネルギーはめぐりの中で形を変えたり、カタチを超えたり、さまざまに響きあい、共振し、そうして仲間を連れて(増幅して)還ってくる。そうした宇宙のめぐりの豊かさは驚くばかりだ。


いつでも豊かに受け取っていて、いつも豊かに与えられている。還ってくるもの、与えられ受け取っているものは、形も無限に豊富だし、往々にして物質的な制限を超えている。そのことに意識的になればなるほど、めぐりはますますスムースになり、多様に、豊かに、広がっていく。




もしも、お金という形でめぐってくるエネルギーを受け取りたいなら、受け取れるであろうお金の流し先が設定されている必要があるのではないかとふと思う。お金も世界をめぐるエネルギーであれば、より大きく望まれ、求められ、喜ばれ、活かされるスペースへと流れるものではなかろうか。


その流し先、遣い方が、より具体的であること、そして、より広範囲で、より大きな喜びへと広がるものであるならば、よりスムースに「金銭」という形でもって、放ったエネルギー、与えたエネルギーは還ってくるのかもしれない。


お金がたくさんめぐってくる人は、お金の活かし先や活かし方を知っている人であり、お金を祝福できる人、お金をさらなる喜びへと運ぶことができる人、そして何より、お金のことが素直に好きな人だろう。お金の価値を知っていて、それを喜べる人だ。


自分に還ってくる形は、自分の「好き」に叶っている。実はいつでも、望んだものが還ってきている。そのことに気づけば、あらゆるエネルギーの循環は、ますます豊かに広がっていく。



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