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2015年4月の記事

2015年4月30日

草木花に囲まれて

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いつ頃からだろう、ふと思い出すようにして見るようになった自分の未来は、たくさんのハーブや花に囲まれた平屋建てに暮らす老女の姿。近くには山があり、森があり、鳥の鳴き声が聞こえる中、庭の手入れをし、ハーブや薬草を用いながら、訪れる人々と共に心地よい時を過ごす自分。療養所でもなく、宿泊施設でもなく、しかし人々を迎えては心と体で巡りあう家。


青森「森のイスキア」の佐藤初女さんや、京都は大原のベニシアさん、同じく京都は綾部の若杉友子さん、出雲市多岐の素敵な珈琲店「蒼」、一度だけ訪れたことがある岡山「美作賢治楽交」、シベリアの森の美女「アナスタシア」、そして、島根やポルトガルの友人達の暮らし・・・さまざまな人の活動と営み、複数の風景が自分の中で混ざり合って、理想の未来を描いているのだろう。


自らの手で花やハーブから香りを抽出したり、エネルギーを転写してエッセンスウォーターを作ってみたいと思いはじめ、なんとなく調べている中でもたらされたのは、実家のすぐ近くにあるハーブ園の情報だった。必要な情報は、いつもベストタイミングでもたらされるものだ。


それにしてもまさか、そんなところに今まさに求めているヒントがあったなんて。どうやら近くにはバラ園もあるらしい。知らなかったなぁ。薔薇の花が咲いているうちに、また故郷へ帰ることにしよう。



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2015年4月29日

いつもいつでも

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それを描くとワクワクする。
それを思うと嬉しくなる。


いつでも変わらぬ魂のサイン。



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2015年4月28日

宇宙と宇宙

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なぜ?も、どうして?もなく、あらゆる出来事、あらゆる状況、あらゆる展開、あらゆるパターンは自分の内側の反映であり、望まぬ展開やトラブル、困った相手でさえも、すべては自らの内側が映し出されている。そのことがわかるたびに、愕然とするほど眺めが変わる。


すべてはアトラクションのようなもので、望んでなどいないという思い込みも、それなのになぜか繰り返されるパターンというのも、内側のねじれや混乱を映している。すべては自ら選びとった現実であり、望みはいつでも目の前に実現されている。それはまったく、茫然とするほどに。


内側のねじれや混乱は、それに気づけば自ずとほどけていく。トラブルも、争いも、困難も、あらゆる外側の問題は内側の反映であり、自分で自分に気づき、みとめ、ゆるすたびに、問題は問題ではなくなっていく。


自分で自分を助ければ、世界も同時に救われていく。
平和も、快適も、幸せも、すべては内側から始まる。


すっかり忘れている当たり前のこのことに、何度も気づいていくためのレッスン。



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2015年4月26日

ほんとうもうそもないけれど

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ありがとう、ありがとう、と言いながら握りしめているときには、
ほんとうのありがとうは立ちのぼらないのかもしれない。


終わりを終わらせ、手放し、解いて、ふっとほどけたそのときに、
ふわりとおのずから溢れだすもの。


それが、ほんとうのありがとうなのかもしれない。
ほんとうも、うそも、あってないものではあるけれど。



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2015年4月25日

意味とは

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意味は香りのようなもの。
握りしめている間はわからない。


ふっとほどけたその時に、ふわり立ちのぼって変化していく。
そうして移ろい消えゆきながら、染みて同化されていくもの。



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2015年4月23日

energy

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エネルギーで遊んでみよう。
エネルギー的な実験。


香りや味は形がない分、エーテルに近いから変化しやすい。
意識や思考もまた同じく、形がない分変化しやすい。


観察と集中。
視覚化と物質化、または非物質化。


自分を止めるという技は、自分を超える力を自在にする。
瞑想も然り、イメージングもまた然り。


実は、物理的な形をもたないものは、形をして成っているものよりもずっと強力に作用する。すべてはイメージから始まって、エネルギーは瞬時に変化する。描かれたイメージや夢は形を超えて伝わり広がる。そうして、形が失われた後も残り続けていく。


どんどん限定解除していこう。


それもありだし、これもありで、何にでもなれるし、なんだって可能だ。物質も非物質もすべてはエネルギーの現れで、ほんとうはそこには境界などない。イメージングや視覚化、物質化など、エネルギーで遊んでみれば、それが体感としてよくわかる。


そのことを、ともに喜び、楽しんでいこう。


「こうである」という枠が溶ければ、内と外との行き来は自在で、「こうである」こともできるし、「こうである」以外の無限も可能になる。どちらを選ぶのも自由だし、行き来して遊んでもいい。いつだって超えていけるし、いつでも戻ってこれるんだ。実のところは誰しもがみな、そういう遊びを繰り返している。


「これ」を「これ」たらしめているのは何か?「こうである」を「こう」たらしめているのは何か?ということに気づいてみれば、「これ」や「こう」はいかようにも変化する、変化できることにも気づく。目の前の現実も、囲まれている環境も、そして自分という枠でさえ、すべてはみな同じこと。


どれだけ変わってもいいし、どこまでも変えていいのだと、まずは自らにゆるすことから始まるのかもしれないね。


いつだって自在なんだよ、ほんとうはね。


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2015年4月20日

ゆるし

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幸せになっていいんだよ。


そして、
そのために無理をしなくてもいいし、
そのために意地を張らなくてもいいし、
そのために我慢しなくてもいいし、
そのために頑張らなくたっていいんだよ。


ただただ素直に宇宙に望んでいいんだよ。


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2015年4月19日

内へと注ぎ、内を満たせば

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外側に求めているものを、まずは自ら内側へ与えていく。
外へと要求していたことを、内へと注いで満たしていく。

慰め、励まし、ゆるし、承認、
肯定、受容、愛情、抱擁、
力、勇気、希望、言葉。


内へと満たせば満たすほど、外へもどんどん溢れ出して、
外の宇宙も満たされていく。

さあ、何がほしい?


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2015年4月17日

ありがとう

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なんというか、なんていうのか。
すべては「ありがとう」だねぇ。


世界は、宇宙は、あらゆるモノコトは、ありがとうでできている。
ありがとう、ありがとう、と感謝と喜びでまわっている。


そんな感じ。


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2015年4月15日

アイデアも、ビジョンも

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ふと浮かぶアイデア、不意にやってくるビジョンは、その人に準備ができたからこそ与えられる宇宙(内的・外的ともに)からのギフトのようなものであり、宇宙は、その人を通して「それ」が表現され、実現されることを望んでいる・・・という考え方はどうだろう。


想像できるものはすべて既に存在していて、そして、それは創造されることを待っている。
既にそれは在り、時が来ればそれはやってくるということ。


物質、非物質に関わらず、与えられるものはすべて、それを与えられるに値するからこそ与えられるということ。


だから、まぁ、それ、やりましょう。
やってみましょう。



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2015年4月14日

銀杏の巨木が教えてくれたこと

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何をするか、どの方法をとるかは、根底的にはあまり関係ない。
それをどのようにするのかが重要なのだ。
なぜなら、出したものが還ってくるのだから。


だから、喜んでできること、楽しめること、愛をもって成せることをするのが大切で、それを見つけること、または見出すこと、つまりは自らの喜びと愛に素直になることが最も重要だ。


そういう意味において、何をするか、どの方法をとるかは関係するが、それは、それぞれに委ねられているし、自由だ。


何かを得るために、何かをするのではない。
何かを与えれば、何かを受け取るのだ。


そして、どのようにするかが、還ってくるものを変える。
それが宇宙の法則というもの。


循環もまた鏡やエコーのようなものだ。


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2015年4月11日

やってみる、始めてみる、動いてみる

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そうしたいと思ったらすぐにそうする。
そうなりたいと思ったらすぐに行動を起こす。
生じた思いを留めることなく行動すること。
生まれたものを溜めることなく表現すること。


肉体が発する快適や喜びへのニーズにすみやかに従うほど、内側も外側も宇宙のめぐりは良くなっていく。内側が快適であるほどに、外側の必要は満たされていく。



『自分を尊ぶ行動をすれば、必要なものは満たされます。どこに導かれるか、何を得られるか、それはわかりませんが、バランスと成長は実現されるのです。』

とは、ウィリアム・レーネンさんの言葉。



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2015年4月10日

今に夢中に

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いつでも今に夢中になること。
内なる宇宙に夢中であること。
内に拓ける無数の宇宙、そこから広がる無数の次元。
外に求める必要はなく、外に探す必要もない。


内に広がるあらゆるすべては、
夢中になればなるほどに、
外へと映し出されてゆき
現実という形になる。


外は内に共鳴する。
内の夢中の響きにあわせて、
外はすべてを与えてくれる。


予想を超えて、期待を超えて
夢中の宇宙は広がっていく。



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2015年4月 9日

香りが繋ぐ内と外

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本日は、出来上がった練り香をお届けに。
いずれも森の情景を香りにしたもの。
しかし、温度も、湿度も、光も、気配も、時も、様子も、色も、音も、まったく異なる2つの香り。


ある女性の内側に感じた2つの情景。
それぞれにマジカルな名をつけて。
小さなポットに魔法を詰める。




人はみな、無数の景色をその内側に孕んでいる。
そして、それらはいつも外と響きあう時を待っている。


内なる宇宙と外なる宇宙。
共鳴するとき、境界は消える。


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2015年4月 8日

幸せであること

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自分で自分を幸せにする。
自分で自分を喜ばせる。
それがほんとうに責任をとるということ。


エネルギーは流れ続ける。
フィーリングはそれを示してくれる。
それを今どこにそそぐかということ。
エネルギーをどう愉しむかということ。


ほんとうはいつでも知っている。
ほんとうはいつもわかっている。



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気づいても、気づかなくても

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ほんとのほんとのほんとうは
いつでも至福にあるということ。
いつも大きな安らぎにあること。


気づいてなお遊ぶもよし。
全力で気づかぬふりをしてもよし。



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2015年4月 7日

時空を超えて

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時を超えて、距離を超えて、心は届き、声は伝わり、思いもよらぬ形でふと、ああそうだったのかとほどけることがある。そんな風にして宇宙は、私を超える遥かなわたしは、生きることのところどころに思わぬギフトを用意している。


天のはからい、天使の仕業。


変わったようで、変わってなくて、変われぬようで、変わり続けて。流れるように、漂うように、凝縮しては霧散して、あるやなしやをゆらゆらと、時を重ねてきたようでいて、時をくるりとほどいている。


いくつもの変容を重ねながら、人はますますその人自身へと還っていく。
その振動は変わることなく、変わらぬ音を奏でつづける。


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2015年4月 2日

呼吸するように

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何かを成すためでなく、何かを得るためでもなく、沸き起こるエネルギーをただ溢れさせて生み出してみることだ。そこから、始まるべきことは自然に始まり、起こるべきことは自ずと起きて、流れるエネルギーがすべてを運んでくれる。


呼吸するように巡っている。
すべては循環のうちに抱かれている。



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2015年4月 1日

0地点

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その人が真に望んでいること、その人が真にエネルギーを注ぐべきことから目を背けて繰り返している感情と思考のドラマに、反応し、揺さぶられ、さらなる燃料を与えるのではなく、そのドラマが燃え尽きていく様をただ静かに見つめること。


ゼロで聴き、ゼロで見て、ゼロで映せば、その人自身が気づいていく・・・
という、今日会っていた友人との間で共有した理解。


そして。

望みは実現しないかもしれないという不安が、エネルギーを歪め、分散させ、不毛な消耗を繰り返させているということ。それは、その人が、真の望みを自らにゆるしていないということかもしれない。そしてまた、その彼女の姿は、それに対峙する者を映す鏡でもあるのだろう。


きっと、ゼロになればぐるりと大きく反転する。



共感とは、限りなくゼロの状態にあってようやく起きる自然発生的な共鳴のことを言うのかもしれない。ドラマに反応し、それに対する思考や判断を表現して、感情を提供することではなく、ただスペースとしてゼロの状態で向き合い、存在すること。そこでは相手と自分という境界が消える。


話を聞きながらふと、話題の主人公である女性が抱いている夢、「きっと叶わない」という思考と不安ゆえに目を背け続けている彼女の真の望みは、そう遠くない未来に現実になるような気がした。おそらく、それはもう既にある未来なのだろう。



描ける未来はいつでも実現される時を待っている。
必要なのは、それを迎えることだけだ。


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