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2008年4月 8日 (火)

萩原朔太郎について

『春 夜』   萩原 朔太郎Photo

浅利のやうなもの、

蛤のやうなもの、

みぢんこのやうなもの、

それら生物の身體は砂にうもれ、

どこからともなく、

絹いとのやうな手が無數に生え、

手のほそい毛が浪のまにまにうごいてゐる。

あはれこの生あたたかい春の夜に、

そよそよと潮みづながれ、

生物の上にみづながれ、

貝るゐの舌も、ちらちらとしてもえ哀しげなるに、

とほく渚の方を見わたせば、

ぬれた渚路には、

腰から下のない病人の列があるいてゐる、

ふらりふらりと歩いてゐる。

ああ、それら人間の髪の毛にも、

春の夜のかすみいちめんにふかくかけ、

よせくる、よせくる、

このしろき浪の列はさざなみです。


桜の花が咲く季節になると、萩原朔太郎の詩を読みたくなります。
彼の詩に初めて触れたのは、確か中学生の頃でした。何かに引用されていた一つの詩を読み、私はしばらく呆然としました。
怪しいほどに美しい言葉の連なりに心奪われ、それが示す意味を理解するより先に、私は遠い異世界に誘われました。

まるで綱渡りのような不安定さで連なり続けるその言葉の中には、水晶のような透明感と、鋭いナイフのような危うさが共存していて、上質な酒みたいにするりと中へ入り込み、私を酔わせてしまうのです。

彼の詩に触れると、言葉というものは綴り方によってこうも姿と色を変えるのかと驚かされ、音楽のようにさらさらと流れるその響きからは、日本語の持つ美しさを再確認させられます。
そして、心の奥の闇の部分、誰もが時に抱く不安や憂鬱、孤独感などを、薄く曇ったガラス越しに見せられたような、複雑な感覚に陥ります。

美しさの裏側にある毒気に当てられそうになりつつも、つい読んでしまう。私は彼の詩が大好きなのです。


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