« イベント開催のお知らせ | トップページ | 不思議な出来事 »

2008年3月22日 (土)

満月の日の再会

大阪に住む友人が、出張で東京に来るというので、久々の再会を果たしてきました。

彼を含む当時の仲間達とは、出会ったのも遊んだのも京都でした。当時はみな毎日のように飲み歩いていて、木屋町という繁華街にあった馴染みの店には、いつも同じ仲間が集まっていたものです。

あれからもう10年近くが経つとは、月日の流れは本当に早いものです。二人とも多少は大人になったのか、話す内容はそれなりにしっかりしてきたように思えましたが、そこにある安心感と、すぐ馬鹿話に流れてしまう傾向は、昔と全く変わりません。

久しぶりに飲むビールは、懐かしい友人との穏やかな時間のおかげで、体中に染み渡るほどの美味しさでした。小さめのタンブラーに入った生ビールニ杯ですっかり満足する私に、友人は驚いていました。それもそのはず、京都にいた頃の私は、いつも朝まで飲み続ける酔っ払いでしたから。

あの頃の私は、それなりに仕事もしていましたし、恋愛や趣味もそこそこ楽しんでいたはずですが、何かに夢中になったり、必死に取り組んだりしたこ とはなかったように思います。ただなんとなく仕事をして、帰り道には一人で飲みに出掛け、飲み疲れたら帰宅して眠り、朝が来ればまた仕事に出掛ける・・ただそ れを繰り返すだけの毎日。もちろん、仲間と共に馬鹿をやったり、いろいろと語り合っては互いを励ましあったり、楽しいこともたくさんあったはずなのですが、 一つ一つの記憶は色が薄くぼんやりしていて、はっきりと思い出せることが少ないのです。

10年前の私は今のように毎日を精一杯生きてはいなかったし、本気で日々を楽しんでいなかったのだなぁ、と今になって、その寂しさに気づかされます。当時の私は 様々なことに悩み、多くの関係性に苦しみ、現実と自己とのギャップにもがいていました。「苦しくて辛かった。」と一言で表すことができるのが、私の 20代です。

傍から見ればただ遊んでいるばかりで、やる気のない気楽な若者だったかもしれませんが、私は私なりに「自分はなぜ生きているのか。何を成せば良 いのか。」という人生のテーマに必死に取り組んでいました。そして、それを考えれば考えるほど、周囲との関係にばかり振り回され、才能も決意も持たないまま不 毛に流されていく己の無力さと不甲斐なさを痛感し、ただただ苦しむばかりでした。思い返せば、あの頃に味わっていた楽しさは非常に刹那的で、あれはいわば苦しい現 実からの逃避だったのでしょう。

ですが、ひそかに悩み、さんざんもがき苦しみ、時に刹那的な楽しみに興じ、時にはふさぎこんで無為な時を過ごしてきたことも、結局は全て良かったのだと、今はそう思えます。それは、年を重ねるごとに少しずつ、しかし確実に、生きることが楽になってきているという実感があるからです。

大きな悩みも無く、日々の糧に困ることも無く、余裕は無いけれどもそこそこの生活を保持し、人にも機会にも恵まれ、周囲に感謝し、毎日を真剣に楽しんでいる自分がここにいます。あんなにも探し求めていた「人生の意味」についても今は悩むことはなく、漠然とではありますが「自分はこう生 きる」という信念を持つこともできています。

年を重ねるということは、得ていくこと、増やしていくことではなく、むしろ、一つ一つ重い荷物を手放して、身軽になっていくことなのかもしれません。

10年後、今の自分を振り返って私は何を思うのでしょう。
友人と共に、変わらぬ笑顔で、過去の自分を笑える日がくるのを、楽しみにして生きていきたいものです。


 

|

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く