身近な人の死に触れるとき。
人は各々の本質が浮き彫りになるような気がする。
祖父の死は、私に多くの気づきや学びを与えてくれたし
、家族それぞれの素顔を垣間見る機会をくれたように思う。
そして私の中に眠るまだ見ぬ己を引き出してもくれた。
パーキンソン病と診断され、長らく特別養護老人ホームに入居していた祖父は、9月に入院、11月には意識がはっきりしなくなり、12月1日に命を引き取った。
私は小学生の頃から高校を卒業するまで、母方の祖父母と共に暮らしていた。
母は夜遅くまで働いていたし、祖母もまた同じく夜に働く仕事をしていたから
、必然的に私は祖父と二人で過ごす時間が長かった。
学校から帰ればほぼ毎日祖父と二人で食事を取り、時には一緒にテレビを観たりもし、
あまり会話はしなかったと思うが、何かしら心の交流を持つことは多かった。
祖父は知能障害とまではいかないが、いわゆる社会的に弱い立場に置かれる人だった。祖母から聞いた話によると、祖父は幼い頃から何事も少しばかり人より遅れをとるため
、常に父親や兄弟から保護され、青年になってからも父親の後ろを付いて働く人だったらしい。
そして、自分が常に人より遅れていることを祖父自身自覚しており、そのために人の目を
いつも気にしていて、人から非難されることにかなり敏感な人でもあったということだ。
確かに祖父はあまり仕事は出来なかったようだし、人付き合いもうまくなくていつも一人だった。
祖父が人並みに働くことができないために、祖母や母、伯父は多くの苦労を背負ったと聞く。
そのほかにも何かと世話の焼ける人であったことに違いはなく、晩年退職してから後、祖母は祖父と共に生活をすることをますます嫌がり、徐々にあからさまな嫌悪を示すようになった。
だが、祖父は決して陰気で気難しい人柄ではなく、明るく優しい人であった。
建設的な会話が上手くできないため、人とのやりとりには多少問題があったことは否めないが
、いつも窓から外を眺めては道行く人に声をかけ、優しく接してくれる人には子供のように
人懐っこい笑顔で、それはそれは嬉しそうに喋りかけていた。また、自分にできる精一杯のことで一生懸命優しさを示す人でもあった。
人目を気にしがちで、ほんの少しではあるが被害妄想的な思考を持っていた祖父は
、あらゆる場面において、知らない人たちに囲まれる状況が非常に苦手であった。
また、日常において人から馬鹿にされたり、疎まれたりすることが多かったであろう祖父は、
睡眠中によく暴言を吐いては見えない誰かと喧嘩をし、時に壁や襖を蹴破ったりもしていた。おそらく
起きている間には笑ってやりすごしながらも、心の中では人知れず多くの悔しさや怒り、苦しみを抱えてもがいていたのだろう。
晩年施設に入居してからも、周囲の人々と打ち解けることは出来ないようであったし
、徐々に痴呆がはじまっていたためか、被害妄想的思考は徐々に悪化していった。
私が訪ねていくと祖父は必ず、祖母が許してくれない、家に帰りたいのに帰られない、
全て自分が悪かったのだと繰り返しては、辛い涙をこぼしてさめざめと泣いていた。
そしてその姿を目にするたび、私は己の無力さを痛感し、祖父の悲しみに触れ心が痛んだ。
あれから数ヶ月、あっという間に祖父は生気を失っていき、まるで植物が枯れていくように
少しずつ確実に死へと近づき、はじめに意識を失い、次には肉体を手放して旅立った。
死に目に会うことはできなかったが、肉体的な生命を失ったその姿はまるで眠るようで
、生前には見たこともない、穏やかで凛々しく、威厳溢れる顔をしていた。
誰かが「まるで武士のような顔つきだ」と口にしたほど、毅然とした死に顔であった。
ここまで書いてみて、いったい私は何を言いたいのかが分からなくなってきた。
もしかしたら、祖父という存在が確かにこの世に生き、人々に多くの影響を与えて、
人生をしっかりと全うし、旅立っていったという事実を書き残したいだけなのだろうか。
この数週間、何か心動かされるものに出会うたびに、祖父の存在を思い出しては、
祖父は幸せだっただろうか、祖父に喜びはあったのだろうかと思いをめぐらせ、 自分勝手な感傷に浸っては涙を流してきた。
だが、今思うにそれは、とてもとても傲慢な気持ちだったのではないかと反省している。
祖父の人生は祖父が選んで歩んだものであり、少なくとも私に「幸せだったかどうか」などと
判断されるものではなく、また誰にもそんな権限はないのだということを、私は忘れていた。
祖父は祖父の人生を全うしたのだ。それが事実としてあるだけで、そこに私が勝手な
意味づけをしたり、理由を求めたりするなどということは、ただの私の思い違いなのだ。
私は昔から老人や障害者、ホームレスといった社会的弱者の存在が何故か気にかかり、街を歩いていてもその存在につい目が向き、それらの問題に触れては心を揺さぶられる。
もしかするとそれは、長らく祖父と共に暮らしてきた経験に基づくものなのではないかと思う。
祖父の存在は私にとって「優しさとはなにか」「皆が共に生きること、共存とはなにか」
ということの真意を経験をもって学ばせてくれた、かけがえのない大切なものだった。
穏やかで威厳溢れるその死に顔からは、人という生き物の根源にある美しさが感じられた。
人は決してある一つの側面からだけでは、その全体をはかることはできない存在なのだということ、
そして自分の人生をしっかりと歩みぬいたあと、その魂はみな仏と呼ばれることの所以を
、理屈ではなく、直感的に納得せざるを得なかった。
今、祖父を思うと、ありきたりではあるが「ありがとう」という言葉が思い浮かぶ。
たくさんのことを教えてくれた祖父。多くのことに気づかせてくれた祖父。
そして幼い頃からずっと変わらず、さまざまな優しさを与えてくれた祖父。
祖父の存在はいつまでも私の内側に生き続け、その魂はいつも私の心に宿る。
人が生きるということ。それはなんと凄まじく、なんと素晴らしいことなのだろう。
何もできない自分ではあるけれど、日々を精一杯生きていきたいと真に思う。
最近のコメント