2008年5月 3日 (土)

jacaranda

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南米原産の落葉高木”ジャカランダ”。春から初夏にかけて薄紫の可憐な花を咲かせるこの木は、熱帯・亜熱帯の多くの国で、街路樹として親しまれています。

その美しい花の色と、柔らかな葉の感触が大好きで、いずれ庭のある家に暮らすことが出来たら、必ず植えたいと思っています。日本ではなかなか花が咲きにくいそうですが・・・。

ジャカランダ(ハカランダ)はギターのサイド&バックに使われる最高級材としても有名ですが、どうやら「ジャカランダ」と呼ばれている木は二種類あるようです。

紫色の美しい花を特徴とする、世界三大花木の一つでもあるジャカランダはノウゼンカズラ科。一方、木の宝石とも呼ばれるほど美しい木目を持ち、ギターや高級家具に用いられるジャカランダ(ハカランダ)はマメ科。

そういえば、ギターに使われるジャカランダ(ハカランダ)には「ブラジリアン・ローズウッド」という別名もありますね。高価なビリヤードキューの ハギ(柄の部分)にも、使われているのを見たことがあります。バラに似た独特の芳香を放つこの木、今はワシントン条約により輸出入が禁止され、手に入らな い希少材となっています。

さて、本題である、花を咲かせる方のジャカランダ。残念ながら狭い賃貸に住む私には、庭に植えて大きく育てる事は出来ませんが、小さな苗を買って 少しずつ育ててみようと思っています。若木のジャカランダは、花を咲かせることはできないけれど、鳥の羽のように繊細な葉が風にそよぐ様は涼しげで、観葉 植物として十分に楽しめます。


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2008年4月26日 (土)

Frida Kahloの人生

何年か前に、短い期間ではありましたが、とあるサイトで定期的にコラムを書かせてもらっていたことがありました。パソコン内のデータ整理をしていたら、その 頃に書いた文章や写真が出てきたので、久々に読み返してみたのですが、過去の自分と不意に出くわすというのは、なんともむずがゆいものですね。

一つ一つの文章には、その頃の私の思いや考えが投影されていて、当時が懐かしく思い出されます。題材はまちまちなのですが、根本にある「何を伝えたいのか」という部分はどれも同じで、それは数年が過ぎた今でも、あまり変わっていないように感じました。

以下の文章はそのコラムの中の一つです。
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「好きな画家は?」という質問があれば、私は迷わず答えられます。 
20世紀前半のメキシコに生きた女性画家、フリーダ・カーロです。  

シュールでグロテスクな彼女の作品は、その強烈な印象とともに、彼女が歩んだ壮絶な運命の全てを、見る者に投げかけてきます。 そこには痛々しく、切なく、そして美しい彼女の生と性があり、彼女の絵を見た者は誰もがみな、彼女の人生をも知ることになるのです。 

幼い頃に患った小児麻痺による右足の障害。18歳の時の交通事故で負った大きな傷。
メキシコ革命に情熱を燃やした青春時代。天才画家ディエゴ・リベラとの華やかな結婚。 
夫の度重なる裏切りと途方もない孤独。生涯30回にも及んだ背骨の手術と痛みや苦しみ。

次から次へと襲ってくる、想像を絶するような肉体と精神の痛みに耐え、ひたすら魂の炎を燃やし続けた彼女は、多くの自画像を残しました。彼女の内 的世界を描いた多くの自画像からは、どんな時にも現実に対峙し、目をそらさずに己を凝視し続けた、彼女の強さを感じ取ることができます。 

私はどこから来たのか。私はどこへ向かって生きていくのか。
私は何を求めて彷徨っているのか。私は誰を愛しているのか。
苦しみとは一体なんなのか。孤独と痛みとは・・・・・ 
彼女の作品は全て、絵という形で表現された彼女自身の自伝です。 

『私は決して夢を描かなかった。私自身の現実を描いただけ』 

彼女が残した最後の作品は、自画像ではなく、小さな静物画です。みずみずしいスイカが、真っ赤な切り口を見せて並んでいます。そして、その絵には、文字でこう記されているのです。 

『VIVA LA VIDA』 
生命、万歳。 

この短い言葉にこめられているのは、フリーダの真実。
彼女が愛してやまなかったメキシコを、いずれ必ず訪れるつもりです。

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今、私がフリーダ・カーロの自画像から感じるのは、彼女の暗闇のような絶望と諦念。だけれども、それを絵という形に吐き出し、その上最後には「生命、万歳」と記してしまう(例え皮肉だとしても)彼女には、やはり魂の強靭さと強い信念を感じます。
苦しんで、のたうちまわって、目をそむけて、それでも変わりはしない現実を甘んずる。そこにはもしかしたら、真の絶望を知る者にしか辿りつけない境地があったのかもしれません。
彼女は生を楽しみつくして亡くなりました。その真摯な姿に、私はいつも強く励まされます。


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2008年4月25日 (金)

Cueva de los Cristales

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メキシコはチワワ州、メキシコ最大の鉛産出鉱山であるナイカ鉱山。
2000年4月、そのナイカ鉱山の地下で世界最大級の結晶の洞窟が発見されました。

これらは透石膏の結晶で、50℃ほどの温泉の中、非常に長い時間を掛けて結晶が成長するという、特異な条件の基に形成されたらしい。結晶の大きさは最大約11m。1~2mレベルの結晶がそこら中から伸びており、あちこちに光が反射して金や銀に輝くそうです。

ちなみに地下約300メートルの深さにあるこの洞窟の中は、湿度90%以上、温度50℃以上と、普通に入ればすぐに肺に水が溜まり、10分で死に 至るという環境。最新のテクノロジーを駆使しても、研究者が洞窟内で活動できるのは1時間半ほどで、調査研究にも時間がかかっていたのだとか。

鉱物好きの私が集めたコレクションなんて、これに比べたらなんとちっぽけな・・・

人間の力では到底創り出すことのできない、大いなる自然の造形。
自然に触れ、その偉大さや美しさに感動するということは、自分自身と対峙し、全てをあるがままに受け入れるということに、つながるような気がします。

それにしても、この写真。
こんなところへ行ってみたい・・・Cave2_2
生きているうちに訪れたい場所が
また一つ増えました。
(現在は中に入れないようですが)

鉱物、歴史、音楽、芸術、人物。
中南米には、私が心惹かれる
ものや場所が溢れています。

http://www.naica.com.mx/
http://news.nationalgeographic.com/news/2007/04/photogalleries/giant-crystals-cave/index.html







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2008年4月14日 (月)

ありがとうございました!

4月12日(土)・13日(日)に Cb2008041213okarinab1_3
「okarina B(東京・根津)」にて開催しました
『The Colours and The Birdsongs vol.3』は
おかげさまで大盛況のうちに終了いたしました。

今回は暖かくなったこともあってか
前回よりもさらに多くの方に足を運んでいただき
たくさんの笑顔とHAPPYが溢れるCb2008041213okarinab2_2
素晴らしい時間となりました。
ご来場くださった全てのみなさまに
心より感謝いたします。
ありがとうございました!

そして
個性豊かなアートで、空間を楽しく彩ってくれた、山口裕子ちゃん
色鮮やかな美しい島根の風景を届けてくれた、葭矢崇司さん
澄んだ音色で、場の色を様々に変えてくれた、原田芳宏さん
素晴らしい演奏&歌で、ライブを盛り上げてくださった、大塚雄一さん
大阪から駆け付けて、ライブに色を添えてくれた、sweety2828君
何かと不手際な私を、あれこれ手伝い支えてくれた友人たち・・・・

本当に本当にありがとうございました! Cb2008041213okarinab4_2

このような素晴らしい時間と空間を
作り上げることが出来たのは、
全てみなさまのおかげです。
多くの方の好意と優しさに支えられて
『The Colours and The Birdsongs』は
これからも少しずつ前進してまいります。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。 Cb2008041213okarinab3_3



☆当日の様子を『谷根千ウロウロ』さんがブログに掲載してくださいました!
http://yanesen-urouro.bakyung.com/2008/04/post08041304.html
http://yanesen-urouro.bakyung.com/2008/04/post08041305.html

☆okarina Bのブログにも掲載されています!
http://okarinabnews.seesaa.net/

次回開催は6月の予定です。どうぞおたのしみに!




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2008年4月 8日 (火)

萩原朔太郎について

『春 夜』   萩原 朔太郎Photo

浅利のやうなもの、

蛤のやうなもの、

みぢんこのやうなもの、

それら生物の身體は砂にうもれ、

どこからともなく、

絹いとのやうな手が無數に生え、

手のほそい毛が浪のまにまにうごいてゐる。

あはれこの生あたたかい春の夜に、

そよそよと潮みづながれ、

生物の上にみづながれ、

貝るゐの舌も、ちらちらとしてもえ哀しげなるに、

とほく渚の方を見わたせば、

ぬれた渚路には、

腰から下のない病人の列があるいてゐる、

ふらりふらりと歩いてゐる。

ああ、それら人間の髪の毛にも、

春の夜のかすみいちめんにふかくかけ、

よせくる、よせくる、

このしろき浪の列はさざなみです。


桜の花が咲く季節になると、萩原朔太郎の詩を読みたくなります。
彼の詩に初めて触れたのは、確か中学生の頃でした。何かに引用されていた一つの詩を読み、私はしばらく呆然としました。
怪しいほどに美しい言葉の連なりに心奪われ、それが示す意味を理解するより先に、私は遠い異世界に誘われました。

まるで綱渡りのような不安定さで連なり続けるその言葉の中には、水晶のような透明感と、鋭いナイフのような危うさが共存していて、上質な酒みたいにするりと中へ入り込み、私を酔わせてしまうのです。

彼の詩に触れると、言葉というものは綴り方によってこうも姿と色を変えるのかと驚かされ、音楽のようにさらさらと流れるその響きからは、日本語の持つ美しさを再確認させられます。
そして、心の奥の闇の部分、誰もが時に抱く不安や憂鬱、孤独感などを、薄く曇ったガラス越しに見せられたような、複雑な感覚に陥ります。

美しさの裏側にある毒気に当てられそうになりつつも、つい読んでしまう。私は彼の詩が大好きなのです。


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2008年4月 1日 (火)

大切なあなたへ

人は誰でも、安全で安心し、自由に生きる権利を持っている。 1
人にはみな、生きているだけで無条件に尊重される価値がある。

あなたは、今のあなたのまま、それだけで大切にされる価値がある。
あなたがそれを放棄しない限り、あなたの自尊心は誰にも奪われることはない。

どのような状況にあろうとも、何に希望を持ち、何を信頼して生きていくかということは、あなた以外の誰にも支配されることはなく、あなたが主体的に選ぶことができる。
あなたがどのように感じ、どのように考えるかは、あなた以外の誰かにコントロールされることではなく、あなた自身で決めることができる。

私はあなたが、あなた自身のために、あなた自身の方法で、生きていくことを願う。
そしてまた私は、あなたがあなたなりの幸せを感じ、楽しく生きてくれれば嬉しい。

『尊敬とは、人のありのままの姿を見、その人が唯一無二の存在であると知ることである。尊敬とは、他人がその人らしく成長発展してゆくように気づ かうことである。私は、愛する人が私のためにではなく、その人自身のために、その人なりのやり方で、成長していってほしいと願う。いうまでもなく、自分が 独立していなければ、人を尊敬することはできない。つまり、松葉杖の助けを借りずに自分の足で歩け、誰か他人を支配したり利用したりせずにすむようでなけ れば、人を尊敬することはできない。』 Erich Fromm


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2008年3月27日 (木)

不思議な出来事

朝から勢い良く布団のシーツを引きはがし、気持ちよく洗濯機を回して 、軽く歌なんて歌いながらベランダで洗濯物を干していたら 、目の前を小さなおばあさんが右から左へと通り過ぎた・・・・ような気がしました。

「気がした」のは何故かといいますと、 そのとき私の視界は目の前がシーツで大きく遮られていたのですが、 右からやってきたそのおばあさんは、いつまでたっても左から出てこなかったのです。

「あれ?」と思ってシーツの向こう側を確認してみても、人影は見当たりません。 だけれど、確かに私の目は、腰の曲がったおばあさんがゆっくり歩く姿を捉えていました。 思い返してみれば、それは一瞬の映像、ただの幻影だったような気もしますが、 紺色の上着や茶色のスカート、後ろで結わえられた白髪、穏やかな横顔など、 その姿は幻覚にしてはあまりにもリアリティがありすぎました。

あれが一体なんだったのか、結局私にはよくわからないままです。 もしかすると彼女は、もう既にこの世にはいない存在だったのかもしれません。 あの世にいながら、未だこの現実世界を時々散歩しているのかもしれません。 なーんて、想像はいくらでもできますが、確実な証拠もなければ説明もできないのが事実です。

ぜんぜん怖くはありませんでしたから、そんなこと、どうでもいいことなんですけれどね。
ただ、もしかしたら私は、これまでにも同じように、この世のものではない(かもしれない)存在を 、そうとは気づかないまま、たくさん目にしてきているのかもしれないな、と考えました。
世の中、目に見えるものだけが確かなものだ、とは言えないということ。 科学や理論で確実に証明できる物事だけが、全てではないということ。 きっと世界にはまだまだ、想像もつかないようなことが、たくさんあるのだと思うのです。

でも、やっぱりなんだかちょっと奇妙な気分です。
あのおばあさんは、毎日ああやってお散歩してるのかしら。 温かくなってきたことですし、昔暮らした懐かしい町を、気分良く歩いていたのでしょうか。


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2008年3月22日 (土)

満月の日の再会

大阪に住む友人が、出張で東京に来るというので、久々の再会を果たしてきました。

彼を含む当時の仲間達とは、出会ったのも遊んだのも京都でした。当時はみな毎日のように飲み歩いていて、木屋町という繁華街にあった馴染みの店には、いつも同じ仲間が集まっていたものです。

あれからもう10年近くが経つとは、月日の流れは本当に早いものです。二人とも多少は大人になったのか、話す内容はそれなりにしっかりしてきたように思えましたが、そこにある安心感と、すぐ馬鹿話に流れてしまう傾向は、昔と全く変わりません。

久しぶりに飲むビールは、懐かしい友人との穏やかな時間のおかげで、体中に染み渡るほどの美味しさでした。小さめのタンブラーに入った生ビールニ杯ですっかり満足する私に、友人は驚いていました。それもそのはず、京都にいた頃の私は、いつも朝まで飲み続ける酔っ払いでしたから。

あの頃の私は、それなりに仕事もしていましたし、恋愛や趣味もそこそこ楽しんでいたはずですが、何かに夢中になったり、必死に取り組んだりしたこ とはなかったように思います。ただなんとなく仕事をして、帰り道には一人で飲みに出掛け、飲み疲れたら帰宅して眠り、朝が来ればまた仕事に出掛ける・・ただそ れを繰り返すだけの毎日。もちろん、仲間と共に馬鹿をやったり、いろいろと語り合っては互いを励ましあったり、楽しいこともたくさんあったはずなのですが、 一つ一つの記憶は色が薄くぼんやりしていて、はっきりと思い出せることが少ないのです。

10年前の私は今のように毎日を精一杯生きてはいなかったし、本気で日々を楽しんでいなかったのだなぁ、と今になって、その寂しさに気づかされます。当時の私は 様々なことに悩み、多くの関係性に苦しみ、現実と自己とのギャップにもがいていました。「苦しくて辛かった。」と一言で表すことができるのが、私の 20代です。

傍から見ればただ遊んでいるばかりで、やる気のない気楽な若者だったかもしれませんが、私は私なりに「自分はなぜ生きているのか。何を成せば良 いのか。」という人生のテーマに必死に取り組んでいました。そして、それを考えれば考えるほど、周囲との関係にばかり振り回され、才能も決意も持たないまま不 毛に流されていく己の無力さと不甲斐なさを痛感し、ただただ苦しむばかりでした。思い返せば、あの頃に味わっていた楽しさは非常に刹那的で、あれはいわば苦しい現 実からの逃避だったのでしょう。

ですが、ひそかに悩み、さんざんもがき苦しみ、時に刹那的な楽しみに興じ、時にはふさぎこんで無為な時を過ごしてきたことも、結局は全て良かったのだと、今はそう思えます。それは、年を重ねるごとに少しずつ、しかし確実に、生きることが楽になってきているという実感があるからです。

大きな悩みも無く、日々の糧に困ることも無く、余裕は無いけれどもそこそこの生活を保持し、人にも機会にも恵まれ、周囲に感謝し、毎日を真剣に楽しんでいる自分がここにいます。あんなにも探し求めていた「人生の意味」についても今は悩むことはなく、漠然とではありますが「自分はこう生 きる」という信念を持つこともできています。

年を重ねるということは、得ていくこと、増やしていくことではなく、むしろ、一つ一つ重い荷物を手放して、身軽になっていくことなのかもしれません。

10年後、今の自分を振り返って私は何を思うのでしょう。
友人と共に、変わらぬ笑顔で、過去の自分を笑える日がくるのを、楽しみにして生きていきたいものです。


 

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2008年3月20日 (木)

イベント開催のお知らせ

次回イベントのお知らせですbud0412front_2

◆The Colours and The Birdsongs◆

  Date:2008年4月12日(土)・13日(日) 
  Open:12:00~19:00 
  Entrance:Free

  ◇スティールパンライブ      原田 芳宏
  ◇オーラソーマ・カラーセラピー 吉田 りょうこ
  ◇写真展示             葭矢 崇司
  ◇アート展示            山口 裕子 


 春は変化の多い季節。Cb0412back_3
 カラーセラピーで今の自分を確認し
 色の力で前向きな気持ちを後押し
 してみませんか。
 セラピーの合間にはスティールパン
 のライブを行います。
 木の温もりとアロマの香りに包まれた
 優しい空間で、アートや 写真を眺める
 時間もゆっくりとお楽しみください。

 *オーラソーマ・カラーセラピーのみ有料です(予約可・先着順)
  ・初めて体験される方: ¥3,000/45分
  ・二回目以降の方: ¥2,000/30分 or ¥3,000/45分
  お問い合わせ・ご予約はこちらまで↓
  colours_and_birdsongs@yahoo.co.jp
  (お手数ですが送信される際に「@」を半角に変えてください。) 

  場所はこちら↓
  gallery okarinaB
  東京都文京区根津2-16-10
  ※千代田線根津駅1番出口より徒歩1分
  http://okarinabnews.seesaa.net/
  古き良き時代の日本の町並みが残る根津に
  ひっそりと佇む隠れ家のようなギャラリーです




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2008年3月15日 (土)

むらさきいろ

暖かくなってきたこともあり、少しずつですが
ベランダの植物を増やしています。 Photo_4
先週の日曜日には、信号待ちの間にふと目に入った「都忘れ」の鉢植えを買ってきました。

気づいてみれば、ベランダにあるのは紫色の花ばかり。偶然ですが不思議なものです。
そういえば小さな頃から私は紫色が好きで、お絵かきでも手紙でも使う色は必ず紫でした。

紫色は、気分を高揚させる赤と、神経を沈静させる青という相反する二色が入り混じった色。 それ故に、優雅で高貴な色である反面、不安や混乱というネガティヴな意味も併せ持ちます。

人は肉体の活動力が低下したり、精神的に不安定になると、紫色を捉えるそうです。 紫色=情緒不安定というイメージからか、例えば子供が絵などに紫色を多用するのは良くないことだと思われがちですが、紫色を選ぶのは、むしろ立ち直ろうとする意欲の現れです。

紫は心身のダメージからの回復を助けてくれる色・・・それと気づかずに紫色を集めていましたが、確かに私はこのところ体調が思わしくありません。ちょっと疲労を溜め込んでしまったようで、自律神経障害による低体温や貧血、めまい等の症状に悩まされているのですが、その上風邪までひいてしまってひどい状態です。歩くのすら精一杯で 息切れしながらも、なんとか用事を済ませた帰り道、思わず手が伸びたのが紫色の都忘れでした。

ここ数日、部屋の香りにはラベンダーの精油を用いていますが、ラベンダーもまた紫色の花。 ラベンダーの香りにもやはり、血圧を下げて呼吸を整え、神経の緊張や不安を和らげて気分を穏やかにしてくれるという、心身回復への効果があります。

身体の不調だけでなく、先のことをあれこれ考えて精神的にも揺れ動いている私は、無意識的に「紫色」の力を借りて、心身のバランスを整えようとしていたのでしょうか。

ちなみに、紫色には精神安定や身体バランスを整える効果のほかに、疲れ目の予防や目・耳・鼻のトラブルを改善する効果もあるとのこと。パソコン作業で疲れた時には、紫色の花を眺めるといいみたいです。

洋服などで着こなすのはなかなか難しい紫色ですが、生活にうまく取り入れれば、体や心のバランスを整えてくれる「癒しの色」として役立ってくれることと思います。

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