蝶を追って
この数ヶ月、何度か蝶の夢を見ている。同じ蝶が夢に現れるのだ。
それは大人が両手を広げたよりも、更に大きな黒いアゲハ蝶。真っ黒ではなく、その羽には目にも鮮やかなオレンジ色とマゼンタ色が散りばめられている。
過去のブログ(蝶に導かれて -死を思うということ- 2009.3.26)でも書いたが、私は子供の頃から理由もなく蝶が怖い。最近は少しずつ免疫ができてきたのか(なぜか私の周囲には蝶好きな人が多い)、写真や絵ならば怖くはなく、少しずつ「美しいな」とも思えるようになってきたが、実物の蝶が飛んでいるのを見かけると、やはり怖気づいてしまう。
もちろん、夢の中でもやっぱり私は蝶が怖い。なのに、夢の中の私は、なぜかその蝶から目が離せない。そして、昨夜はとうとう、蝶と話をしてしまった。いや、実際には言葉で会話をしたわけではないのだが、私には蝶の思いが僅かに分かってしまったのだ。
そこは、18歳まで家族と共に暮らしていた家だった。私は一人で軒先から空を見上げていた。どうやらさっきまで雨が降っていたようで、辺りはうっすらと水気を帯びている。空は淡い青にほんの少しだけ灰色を混ぜた薄曇り。不思議なことに、そこには黄色味を帯びた真ん丸なお月様がぽっかりと浮かんでいて、それはそれは美しく輝いていた。
と、そこへ以前にも夢に現れた大きな大きな黒い蝶が、まるで月から飛んできたかのように空を舞って現れたのだ。ふわりふわりと羽ばたきながらこちらへと近づいてくる蝶を見つけて、私はすぐに家の中と逃げ込んだ。そして、蝶が中へ入ってこないよう、慌てて扉を閉めたのだが、どういうわけか蝶は扉の僅かな隙間をするりとすり抜け、家の中へと侵入すしてしまうのだった。私は焦って部屋を通り抜け、隣の和室へと走る。そして襖を閉めながら、蝶の様子をうかがっていた。
黒い蝶はガラス戸にとまった。まるで呼吸をするように羽と身体をゆっくりと動かしている蝶。盗み見をするように、その姿を見つめる私。大きな羽の先でゆらゆらと揺れる、鮮やか過ぎるほどのオレンジとマゼンタから目が離せない。
じっと見つめているうちに、その蝶がまるで小さな妖精(妖怪)のようにも見えてきた。そして、何故か(そもそも夢の中の出来事は全て不可解だ)、蝶が女性であることが分かるのだった。
そう。蝶は「彼女」なのだ。
彼女は私に会いに来ている。夢の中の私はそう確信していた。
そんな夢を見て目が覚めた。あんなにも怖がっている蝶の夢だというのに、目覚めは決して悪くなかった。そして、鮮やかなオレンジとマゼンタを伴う黒い羽、深く呼吸をするように動く大きな羽と身体が、夢ではなくまるで現実のように、しっかりと頭に焼き付いていた。
蝶は、一体私に何を伝えたくて現れるのだろう。彼女はなぜ、私に会いたがっているのか。
あれからずっと蝶のことが気になっている。蝶の姿が頭から離れない。実際に見たかのように、その姿を細部まで思い描くことができる。
そうして、夢の中の蝶を思い続けていると、なんだか自分が夢と現のどちらにいるのかが曖昧になる。どちらも現で、どちらも夢なのだろうか。もしかして、私はずっと夢を見ているのだろうか。
ふと、荘子の「胡蝶の夢」を思い出す。
昔者、荘周夢為胡蝶。
栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。
不知周也。
俄然覚、則遽遽然周也。
不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。
此之謂物化。
昔、荘周は夢で蝶になった。
ひらひらとして胡蝶そのものであった。
自然と楽しくなり、気持ちがのびのびしたことだった。
自分が荘周であることはわからなくなっていた。
にわかに目覚めると、なんと自分は荘周であった。
荘周の夢で蝶になったのか、蝶の夢で荘周になったのかはわからない。
しかし、荘周と胡蝶とには、間違いなく区別があるはずである。
こういうのを、「物化」というのである。
夢で出会う黒い蝶に、私は一体何を見ているのだろう。実際のところ、明確な答えは見つからないことも分かっている。答えなど必要はないとも思っている。ただ、それを考えながら日々を過ごすことが今は楽しい。次に彼女と会えるのはいつだろう。彼女は何処から来て何処へ帰るのだろう。彼女は何か伝えようとしているのだろう。
今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧なり。
されど、かの時には顔を対せて相見ん。
今わが知るところ全からず、されど、
彼の時にはわが知られたる如く全く知るべし。
【コリント人への第一の手紙 13章より】
晩年のビル・エヴァンスの動画を繰返し見ている。彼が本当にこのトリオを愉しんでいたのだということが伝わってくる。彼の音楽を20年近く変わらずに聴き続けている。生きるための杖。美しいと言うほかに表現できない美しさ。
『The Days of Wine and Roses』Bill Evans, Marc Johnson, Joe LaBarbera
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